子どものチアが大挙来場し、いつもとは違う雰囲気で行われた10月21日の中央-慶應戦。1ピリ途中、慶應のFW史リック(4年)に代わってフェイスオフの位置についた主将・FWの滝智弥(4年)を見て、あることに気がついたファンもいたのではないか。滝と対峙したのは、中央のFW矢野倫太朗(4年)。名門のCマークをつけてパックを取り合ったこの2人、九州・福岡のクラブチーム「ゴールデンジェット」の出身だったのだ。

アイスホッケーを始めたのは、ともに幼稚園の年長。父親の仕事の関係で小学校時代は浦安、大阪で過ごした滝が福岡に引っ越してきたことを境に、2人のストーリーが交わった。香椎ヒリューズとスターズが合併してできたゴールデンジェットでは、ともにFWとDFを掛け持ち。3ピリオド45分のうち30分以上は氷の上にいた。「アジアリーグや関東大学Aというのは別次元の世界で、自分たちはまあ、九州や関西でそこそこできるくらいのレベルなんだろうと思っていた」(矢野)という。

高校は、滝が神奈川の慶應義塾、矢野は苫小牧東。滝とすれば、大学に進んで勉強に重点を置こうと考えての選択であり、矢野は「どうせやるなら北海道でと思ったんですが、唯一、福岡からの受け入れに真剣に対応してくれたのがガタ(東高)だった」中での進学だった。

そんな2人を、高校入学直前、全日本少年(釧路)での一戦が変えた。予選リーグの栃木戦。福岡の目標は「格上のホッケーを体感し、勉強する」ことだった。当時は日光東中が強く、ハリデー慈英(早稲田)がいて、松渕雄太(大東文化)がいて、在家秀虎(慶應)がいて、鶴見耕太朗と三浦和憲(同志社)がいた。福岡のスタッフとすれば、普段はしないはずの3セット回しで全員が滞氷して、中学トップのホッケーを学ぶことに意義があると考えたのだ。

と、そこに異を唱えたのが滝だった。「それは違う! 試合が始まる前から勝負をあきらめるなんて、おかしくないですか。3点差をつけられたら、そこからは3つ回し。それまでは、勝つつもりでやりませんか」。果たして試合は、最後まで決着のわからない熱戦となった。終了2分前に決勝ゴールが決まるまで3-3。最後は地力に勝る栃木が押し切ったが、福岡の健闘は大きなサプライズだった。

そしてそれは、滝と矢野にとってもサプライズだった。「俺たち、全国でも案外やれるんじゃね、と」(矢野)。「結局、当時は自分たちのレベルがよくわかってなかったんです。謙虚というより、九州にいると比較する対象がなかったので」(滝)。滝はその後、塾高で1学年上の安藤直哉と出会い、大学では「自分のホッケー観を変えてくれた」山中武司コーチと巡り合った。矢野は東高で年代別代表の合宿に呼ばれるまでになり、現在も中央で主力セットのセンターを務める。


大学を出たら、アジアリーグへ。福岡でプレーしていたころは考えもしなかった世界へ、2人ともに夢を描いた時期がある。一緒にアジアリーグのチームの練習に乗りに行ったこともあった。それでも2人が最終的に選んだのは、一般就職の道だった。

滝は、尊敬する安藤が迷いに迷って最終的にアジアリーグに進まなかったことを重く受け止めた。「安藤さんは大きくて、うまくて、何よりホッケーが好きだった。その安藤さんですら、アジアリーグ入りに踏み切れなかったんです。条件を聞いたら、それもしょうがないのかなと。実際、これから結婚して子供を育てるとなると…考えてしまいますよね」。矢野は、アジアリーグでやっていけるだけの自信を持ちきれなかった。「僕が入ったころの中央は、それはすごいメンバーでした。なかなかシフトがなくて、ようやく与えられたのが3つ目。でも、おまえのプレーは3つ目のプレーじゃないと、よく言われたんです。おまえがやりたいプレーは1つ目、2つ目の選手がやるプレーで、3つ目に求められているプレーは違うんだよ、と。大学の2つ目までに入れないのであれば、さらに高いレベルのアジアリーグは厳しいなと思ったんです」

福岡で過ごした中学時代、アイスホッケーだけでなく学習塾も一緒だった。その後、高校は北海道と関東に分かれ、再び大学リーグで戦った。そして偶然にも、来春から2人とも広告業界に進む。しかも同系列の会社で、滝が東京本社、矢野は九州で勤務するという。「広告には、何かを生み出す力があると思います。僕は選手としてトップリーグに行くことはなかったですが、違う方向から日本のホッケーを良くしていきたい」(滝)。「九州でプレーしている子どもは、僕たちを目標にしてくれているんです。九州支社は本社より規模が小さいぶん、早い段階で仕事を任せてもらえる。アイスホッケーという競技を評価してもらうためにも、仕事で成功して、ゆくゆくはホッケーの世界で働きたいです」(矢野)

かつての日本リーグ6チーム時代から比べれば、大学生がトップリーグに進む数は格段に減った。それでも彼らは、時代を憎むことも、九州で育ったことを嘆くこともない。そして、ユニフォームではなく、スーツを着ていても、日本のアイスホッケーを良い方向に変えていけると信じている。「試合が始まる前から勝負をあきらめるなんて、おかしくないですか」。中3の春、滝が口にした言葉は、2人の中に今も残っている。


スキルフルでスマートなプレーが身上の矢野。東高時代から、どういうわけかアゴのケガが多い。

塾高時代は1学年上の安藤、1学年下の長谷川真之介の「次点」という印象だった滝。大学でスコアラーとして大きく伸びた。


PROFILE

やの・りんたろう

中央大学総合政策学部4年。FW、ライトハンド。1996年10月1日生。176㎝・75㎏。福岡・愛宕幼稚園年長の時にホッケーを始め、愛宕浜小、姪浜中から北海道・苫小牧東高。「好きなご当地グルメは明太子。ブランドは、ふくやです」。弟の竜一朗は東高で「将来の代表」と騒がれた大型センター。現在は医大進学を目指して勉強中とのこと。

たき・ともや

慶應義塾大学法学部政治学科4年、本年度キャプテン。FW、ライトハンド。1997年2月22日生。172㎝・75㎏。浦安日の出幼稚園年長の時にホッケーを始め、大阪・箕面萱野小、福岡・城西中を経て慶應義塾高。「僕はもつ鍋が好きですね。締めはちゃんぽん麺で」

普段はジェントリーながらけっして妥協することのない滝と、それを見つめる矢野。中学まで福岡で過ごした選手が名門大学でCマークを付けて対戦するケースは珍しい。

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