マロは早稲田の1つ目、渓太は東洋の3つ目のためマッチアップする機会は多くないが、11月11日の東洋-早稲田戦ではゴール前でバトル。


お母さんは、ともにフィギュアスケーター。なるほど、2人ともに目鼻立ちが整っているのは、東北美人の遺伝子だったか。東洋のセンター坂本渓太と、早稲田の1つ目のDF坂本之麿。幼稚園から高校までずっと一緒だったいとこ同士が、東洋と早稲田、異なるユニフォームを着て学生最後のシーズンを戦っている。

お母さんの影響で2人とも最初はフィギュアのシューズを履いていたが、八戸のジュニアチーム・ホワイトベアの練習を見て「こっちがいい」と、これまた同時にスティックを握った。幼稚園、小学校、中学校、高校と、すべて同じキャリア。誕生日は渓太のほうが2カ月早く、しかし身長は之麿のほうが20㎝近く高い。「いとこというより、兄弟みたいなもんです。渓太のほうが弟って感じで、僕はいつもかわいがってきたんですよ」と之麿は笑う。

八戸工大一高では、之麿がキャプテンを務めた。「アイツはしっかりしていますから。僕らの学年は自分勝手なヤツが多くて、でもアイツは、そういうチームをちゃんとまとめていた」(渓太)。大学は、渓太が東洋を選んだのに対し、之麿は中学時代から志望していた早稲田へ。2人のホッケー人生が初めて2つの道に分かれた。

大学では、之麿が早くから上のセットで活躍したのに対し、渓太はFWの層が厚い東洋で壁に当たった。「試合に出ても4つ目で、出番はほとんどなかったんじゃないですか」。そんな渓太にとって大きかったのは、2学年上の人里茂樹(現フリーブレイズ)の存在だ。「ウエートをいつも一緒にやらせてもらいました。シゲさんはうまいし、それ以前に本当に努力していた。そういう姿に憧れていたんです」

ともにレギュラーに定着していた3年目、2人の身体に異変が起こる。春のトーナメント、渓太が敗者戦の青山学院戦で負傷した。コーナーでパックキャリーしていたところにチェックが来て、右ヒザの前十字靭帯を切断。全治8カ月の診断を受け、インカレでようやく実戦に復帰したが、ここでもヒザを痛めた。年明けの2月に手術。春の大会は出られると踏んでいたものの、症状がなかなかよくならない。実戦に復帰したのは今夏のサマーカップ。大東文化戦で1年半ぶりのゴールを決めた時は、うれしくて涙が出たという。

3年の春に負傷した渓太がリハビリに励んでいたころ、之麿もやはり病院のベッドの上にいた。昨年8月、夏合宿前に東伏見で行われた練習でシュートブロックに行った際、アゴを2カ所骨折。流動食で1カ月半を過ごし、DFの層が厚いとはいえないチームのために、リハビリは2週間のみで秋の2次リーグから戦列に復帰した。

「マロが(アゴのケガを)やった時はショックでした。マジかよ、と。アイツが復帰した時はホッとしたし、自分も早く治して試合で戦いたいと思いました」(渓太)。「いつも連絡を取り合っているんですが、渓太もリハビリがつらそうでしたね。ちょうど同じ時期に2人ともケガしたので、あのころの坂本家はけっこう大変だったんです」(之麿)。この秋は、2人がリンクの上で1年ぶりに戦う場になった。11月11日の東洋-早稲田戦の後、之麿は「渓太と戦えてうれしかった。確か3ピリにちょっとだけ(マッチアップが)ありましたよね。今日は幸せでした」と、汗を拭きながら、なんともいえない笑顔を見せた。

秋のリーグ戦も残りわずか。年末のインカレが、2人が氷の上でぶつかる最後の機会になる。「インカレは決勝で早稲田と対戦する可能性があるんです。もちろん勝ちたいですし、中央、明治もウチにとっては壁なので、どことやっても勝ちたい」と渓太。卒業後は八戸に帰り、B級のチームでプレーすることが決まっている。一方の之麿は、本格的な競技者としてのプレーは今季が最後だ。「大学2年までは、フリーブレイズに入ることが目標でした。もしケガしてなかったら…そうですね、どうだったですかね。とにかく今はインカレ、早慶戦を勝って終わりたい。悔いのないホッケー人生にするのが目標です」(之麿)

最後に。いま、ケガや病気で苦しんでいるプレーヤーに、渓太が口にした言葉を伝えたい。「スタンドから試合を見ていると、チームメートがうらやましいし、焦りも当然、あるんです。でも、僕は素直にチームを応援したし、仲間の活躍を喜んでいました。きっとそういう姿を見ていたから、復帰戦で僕がゴールした時にみんなが喜んでくれたんじゃないかなって。うれしくて涙が出たのは、ゴールを挙げたことよりも、チームメートやスタッフがそれを喜んでくれたからなんです」。アスリートにとって、ケガはしないほうがいいに決まっている。それでも、もしケガをしてしまったら、体と心の衝撃を少しずつやわらげながら復帰に向けて努力するしかない。その先には、きっと喜びが待っている。試合を終えて、汗を拭きながら「今日は幸せだった」と、戦う喜びをかみしめることのできる瞬間が。

PROFILE

さかもと・けいた

東洋大学社会学部社会文化システム科4年。FW、レフトハンド。1996年4月15日生。162㎝・71㎏。青森県八戸市出身。4歳でアイスホッケーを始め、高館幼稚園、根岸小ではホワイトベアでプレー。北稜中、八戸工大一高と、すべて之麿と同じコース。七三分けの髪型がトレードマークで、「いつもワックスでカチコチに。汗をかくと目に入って痛いので、プレーする前は必ず髪を洗ってます」

PROFILE

さかもと・ゆきまろ

早稲田大学社会科学部社会科学科4年。DF、レフトハンド。1996年6月5日生。182㎝・80㎏。お母さんは、渓太のお母さんの妹。「卒業後は青森に帰りたい気持ちもありましたが、若いうちは東京で働いたほうがいいのかな、と。口下手のアイツに営業の仕事が務まるのかと渓太が言っていたんですか? お前に言われたくねーよって(笑)」

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