中央大学の学食でのインタビュー。蓑島はカレーを注文、サラダにドレッシングはかけなかった。


まず、インタビュー収録日が関東大学リーグ戦の終了間もない12月3日であることをおことわりしておきたい。1次リーグ、中央は開幕から4連勝スタートを切りながら、東洋(GWS)、早稲田、明治に敗れた。特に明治戦は1-7というスコアもさることながら、チームのまとまりが不足していることを露呈。それは2次リーグでも解消されず、優勝の可能性は順位決定リーグを待たずについえた。主将はFWの佐藤優樹(4年)。彼自身ケガで開幕から試合に出られず、リーグ戦の途中までCマークはFW矢野倫太朗(4年)がつけたが、チームが勝てず、加えて不協和音と4年生にはつらい時期が続いた。中央のもともとのキャプテンは蓑島。4月の選手権はCマークをつけてチームは2位だったが、8月、夏合宿を前に蓑島はフィンランド3部のハウカットへ移籍。11月の順位決定リーグを前に帰国した。前述したように、中央にはその時点で優勝のチャンスがなかったが、試合運びは劇的に変わった。Dゾーンでの時間を最大限に短縮し、FWを走らせて中盤、あるいはOゾーンにパックを出して2次攻撃、3次攻撃をしかけるエネルギッシュなホッケーで、順位決定リーグは2勝1敗。敗れた早稲田戦も1-2と、終盤戦でやっとチーム力が上向いた。そして迎えたこの日のインタビュー。フィンランド移籍と中央大学というチームへの思いを聞いた。〈聞き手・構成/山口真一〉

印象と違っていたフィンランドのスタイル

――そもそも、これからリーグ戦を迎えるという時期になぜ海外に渡ったのか、そこを教えてください。チーム内外に衝撃が走りましたが、そうなることは当然、わかっていたはずで。

蓑島 海外へ行く理由がたくさん出たので、自分の中で「行くべきなんだな」と思ったんです。ホッケーを学ぶということ…みんな戦術に関していろんなことを言うんですけど、何が正解なのかわからなくて。ただ走るだけのホッケーって海外でやってるのかな、自分が身をもって確かめないといけないなって。で、実際に経験したヤツが帰ってきて言えば、みんな信じるだろうと。

――行き先がフィンランドだった理由は。

蓑島 オフに庄司竜太郎トレーナーの所でトレーニングして、パートナーがハウカットでプレーしている(ホーキンス)杵渕だったんです。向こうの話を聞いて、杵渕が「チームに蓑島さんのこと紹介してみます。監督に言いますから」って。5月の終わりか6月のはじめだったと思います。もし行くとなったらリーグ戦と重なるとは思ったんですけど、春の決勝(対明治・2-5)を3ピリ(の3連続失点)で落として、「ちょっと明治とは差があるね」という話を中央の4年生として、「どうする?」「このままいったら秋(リーグ)もインカレも獲れないなあ」って。チームを変えるには大きい変化を起こさなきゃいけないと僕も思っていて、で、海外のホッケーを経験するという行動を起こせるのは自分しかいなかった。リーグ戦もありますが、インカレで勝つためには、それまでに行くしかなかったんです。

――最終的に「行こう」と決断したタイミングは。

蓑島 7月の上旬で、出発が8月26日。一応、名目上はトライアウトがあったんです。でも、実際に行ってみたらハウカットの人が「よろしく」って感じで。レベル的には関東大学リーグより高くて、アジアリーグよりはちょっと下でしたね。ただ、相手チームがアジアリーグくらい強かったです。リーグに20チームくらいあって、僕がいたときは15位くらいだったんですが、1位のチームに勝つこともあったりして。

――「身をもって確かめて」何を感じましたか。

蓑島 ぼんやりとですけど、向こうはパスを回すホッケーなのかなと思っていたんです。でも全然違っていて、コマザワ(駒大苫小牧高)みたいなホッケーで、ガンガン放り込んで、2チェックで。

――ダンプするんですか。

蓑島 めっちゃしますね。(ダンプ)されますし。もともとハウカットの監督は(アイスバックスに在籍したDF)ヌメリンと一緒にフィンランド代表でやっていた人で、プレシーズンはパスホッケーをやっていたんです。でも、結果が出なくて「ウチが勝つスタイルはこれだ」って、ダンプして走るホッケーに切り替えたんだと思います。FW4つ、DF3つで回していて、僕が中央(大学)に戻ってきてからは、とりあえずDFは出すところがなかったらチップアウトして、FWがそれを拾ってどんどんゴールにシュートを集めてというスタイルにしたんです。

――フィンランドって、パスを回して、回して、全員でだんだんとポジションを変えながらシュートコースをつくってフィニッシュというのが一般的な印象です。うまくエントリーできなければリグループして攻め直して。

蓑島 全然違ってましたね。逆に「オーバーするな」って言われましたから。日本人はシンプルなプレーをというと本当にシンプルなプレーをすると思うんですが、シンプルなプレーの中にも、フィンランド人はチャンスがあったらテクニックを使って鋭いパスを出したり、そういう発想があるんです。

――基本となる戦術、共通理解はあるけれども、その上でアレンジを効かせるというのは日本人が一番苦手な部分です。

蓑島 苦手だと思いますね。出るのはだいたい2セット目が多かったです。杵渕と組むか、どちらかが1つ目という感じでした。

海外で暮らしたことで優しくなれた

――外国への遠征を何度も経験してきた中で「暮らす」のは初めてでした。

蓑島 ハウカットはヤルヴェンパーという街にあって、人口は5万人くらい。ヘルシンキのお金持ちの人が住む高級住宅街みたいな感じでした。ホストファミリーの家も大きなプールがあったりして、びっくりしました。その家の人とは生活の時間帯が違ったので、基本的に3食とも自炊。朝はシリアルとオートミールとか。オートミールも食べたことがなかったので面白かったです。昼と夜は、チキンとか、パスタとか。僕、あんまりお米が好きではなくて、パンとかパスタのほうが好きなのでよかったですけど。その街に別荘をつくる会社があって、そこの社長が20年くらい日本に住んでいたことがあって、奥さんが日本人なんです。お寿司をつくってもらったりして、よくしていただきました。結局、フィンランドにいたのは2カ月半くらいですね。何をしても、それまでやったことがないことだったので楽しかったです。フィンランド語はわからないので基本は英語で、スーパーで食材を買うにしても、見たことないものだったり、初めて食べるものだったり、何をしても勉強になるのでとにかく行動しました。よく知らないスーパーに行ってみるとか。

――そういう経験を経て自身の変化を感じることは。

蓑島 人に優しくできるようになりました。向こうにいって、別荘の会社の社長もそうですし、ホームステイ先の人にもすごくよくしてもらったので、受けたぶん、これは日本に帰って返さないとなって。帰ってきた時、矢野に「なんか優しくなったよね」って言われたんです。代表で、福藤(豊、アイスバックスGK)さんがどっしりしている理由がわかったというか。海外でプレーしていると、つらいこととかもいっぱいあって、それがわかってるから若手がミスをしても「俺が守るから大丈夫」って言ってくれるんだなって。何かに挑戦している人はつらさもわかっているから、何かにチャレンジしている人に対して優しくなれるんだなあって知れた。たぶん本とかにも書いてあることだとは思うんですけど、自分が経験したことを通じて身をもって感じました。つらい思いをしても助けてくれる人がいてくれるし、自分も助けてあげたいなって。

――ということは蓑島選手自身、つらいこともあったと。

蓑島 そうですね。やっぱ、中央が勝てないのはつらかったです。いつもネットを見ていたし、連絡もいつもしていて、チームの中で何が起きているのかも逐一、聞いていましたから。自分はこっちに来るべきだったのか、やめるべきだったのか。自分の中ですごく悩んでいた時に、矢野が「今は苦しいと思うけど、その悩みが5年後も続いているかといったら、たぶん消えてなくなっている。だから、誰に何を言われても気にすることはない。中央のためにフィンランドに行ったおまえは正しいよ」って言ってくれたんです。それで僕も泣きそうになって。中央が嫌になってフィンランドに行ったわけじゃない。そこを、なんていうか、自分がうまく伝えきらなかったから誤解を招いたところもあって。

――11月に帰国して、寮に戻るときには勇気も要ったと思いますが。

蓑島 帰った日に4年生同士で話して、翌日にチーム全体で話をして。今は、わだかまりみたいなものはないと思っていますし、インカレに向けてすごく雰囲気もいいと思います。みんな底まで落ちて、でもインカレで結果が出ればすべてが肯定されるっていうか、そういう気持ちで練習しています。

――実際、練習メニューをつくっているのは蓑島選手ですし、チームが良い方向に向かっていることは結果にも出ています。

蓑島 はい、ありがとうございます。あの…このインタビューが載るのっていつですか。たぶん、みんな読むと思うし、チームの気持ちをインカレ以外に向けたくない気持ちがあって。もしよかったら、インカレが終わって、年が明けてからにしてもらえると。僕、今はとにかく中央で優勝したくて、インカレで優勝したくて、そういう気持ちでいるので。そうしてもらえるとうれしいです。すみません。

※蓑島と中央の4年生についての続編は後日、掲載します。

PROFILE

みのしま・けいご

中央大学法学部4年。1996年8月24日生。帯広大空少年団でホッケーを始め、大空中、白樺学園高を経て中央へ。高1、2年はインターハイ優勝、大学1年時はインカレを含む3冠を達成する。高校卒業時に日本代表メンバーに選ばれ、今や代表DFの主軸に。今季はシーズン前半は主将を務め、8月からフィンランド移籍、昨年12月、最後のインカレは3位。

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