矢島家最高のテクニシャンといわれる背景には、名コンビの「もう1人」に由来があった。それでも「来シーズンは父親と同じ背番号7にする予定です」


王子・黄金コンビの輝きを「いま」に

アイスホッケーを長く見ている人にとって「矢島」という名は格別の響きを持つ。父・敏幸さんは中央大学のコーチにして、かつて王子製紙のFWとして日本中のファン、特に女性をしびれさせたスタープレーヤー。今から30年ほど前、アイスホッケー日本リーグは地上波テレビでシーズンに何度も放送され、「矢島、1人抜いた、2人抜いた…」という実況は、W杯の「マラドーナ、マラドーナ…」と共通するワクワク感を茶の間にもたらした。

その矢島敏幸の長男・雄吾は早稲田の4年生。3つ年下の次男・翔吾は、中央大学を進学先に選んだ。「3年前に中央が3冠(春のトーナメント、秋のリーグ戦、冬のインカレ)を達成するのを見たんです。高校1年だったかな。今、クレインズにいる中島彰吾さん、鈴木健斗さん、バックスにいる古橋真来さん、それと坂本颯さんもいた。FWはみんなテクニックがあって、スピードもあって、中央っていいなあと思いました」

矢島自身が大学入学直後に迎えた、春の関東大学選手権。名門・駒大苫小牧高校でキャプテンを務めた男は精彩を欠いた。「いま思えば、春の大会はなんとなくこなしていた感じです。遠慮していたというか。他大学の兄貴の代(4年生)は昔から知っているんですが、みんな体が強いし、うまい。この人たちを相手に自分はどうすればいいんだ、みたいな遠慮がありましたね。でも、春を終えて、自分の中に変化がありました。自信なさげにやっても意味ないだろって」

夏に北海道苫小牧市で行われた大学交流戦「サマーカップ」で矢島は大ケガを負う。それでも前向きな姿勢は変わらなかった。「秋のリーグ戦は2巡目まで出られなかったんですが、それまでの期間、スタンドからホッケーを見ることができたのがよかったです。そこはパスだ、そこはシュートだって、上から見て気づくことができた。めちゃくちゃいい経験になりました」。もともとはセンターフォワードで、中央ではウイングに。「点を取ろうという意識が強くなりました。春よりずっと強い気持ちで試合に臨めています。1年生だろうが、何年生だろうが、氷の上では関係ないぞって。半年前とは気持ちが全然違います」。精神面の成長を裏付けるのがPS(ペナルティ・ショット=サッカーでいうPK)だ。相手GKの動きを見て、落ち着いてパックをコントロールしてシュートを決めている。

矢島家の話題の中心は常にアイスホッケー。昔のビデオをDVDに録画し直し、当時の中継を小さいころからずっと見てきた。しかし、矢島の視線の中心にいたのは父親ではなく、センターの鈴木宣夫(現関西大学監督)。「鈴木・矢島」といえば、日本アイスホッケー史上、1・2を争う名コンビだ。鈴木宣夫がリーチを生かしてパックをコントロールし、快足を飛ばしてパスを受けた矢島敏幸が切れ込んでシュートというシーンは、当時のファンを夢中にさせた。「父親より、宣夫さんのテクニックにしびれました。選手として僕が影響を受けたのは、実は宣夫さんなんです」

矢島敏幸の血が流れ、鈴木宣夫のプレーを頭に描きながらホッケーを続けてきた矢島。「父親の現役時代はリアルでは知りませんが、映像で見ても、当時のスタンドの熱気はすごいですよね。あれだけ盛り上がっていたら、選手は力以上のものを出せますね」。アイスホッケーが再び、多くの人を夢中にさせるスポーツに。その旗手となる資質を矢島翔吾は持っている。

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