落ち着いた声でアイスホッケーへの思いを口にした福島。シャイな中にも、心の中でずっと大切にしてきた「芯」がある。


「泥くさい」のが東京スタイル

法政大学のDF福島勇啓は、横浜、東京、札幌と、ずっと都市部でアイスホッケーをしてきた選手だ。横浜の実家のすぐそばには、かつての強豪チーム・コクドのホームアリーナ、新横浜スケートセンターがある。幼稚園で東神奈川の「ビッグホワイト」でホッケーを始め、しばらくして新横浜のジュニアチームに移り、小学6年からは東京のジュニアチーム・インディアンズ東京ウエスト(現在のフリーブレイズジュニア東京)でプレーした。東京のチームに移る時は「おばあちゃんの家に住まいを移して、小学校も転校したんです」。つまり、アイスホッケーのために11歳で実家を出たことになる。高校は、兄・健一(元専修大学キャプテン)もプレーしていた札幌の北海高校を選んだ。

さかのぼって10年前、小学生の「ゆきひろ」君に覚悟を決めさせたアイスホッケーの魅力は何か。「そんなに大それたことではないですけど、普通に何もしていない時に、ああ、ホッケーやりたいなって思うような、自分にとってはそういう存在です。氷の上にいる時は自分を解放できるというか、ガツガツした自分が出る。ホッケーをしている時は、普段と全然違う自分を出せるんです」

福島のプレーを見ていると、それがよく伝わってくる。ディフェンダーとしての本来の役目である守りはもちろん、味方がパックを奪うと積極的にアタッキング・ゾーン(相手ゴールに近いエリア)まで駆け上がる。「自分のプレーの良さは、がめつさ。スティックを使って、相手がいやがることをする時もあります。華麗なプレーではないですけど、それが自分の持ち味なので」

福島が所属する法政大学は、学生アイスホッケー界で一時代を築いた名門チームだ。公式戦72連勝、大学最高峰の全国大会「インカレ」では、12年連続優勝を飾ったこともある。かつて首都圏には、西武鉄道、国土計画(コクド)というトップリーグ所属のチームが存在し、その中心を担っていたのが法政大学OBの選手だった。しかし、近年は他校も積極的にアイスホッケーの強化に乗り出し、法政は後れをとっている。2018年秋の関東大学リーグ戦で、法政大学は5位。しかし、一時は下部カテゴリーとの入れ替え戦に回る7位以下が濃厚だった。

福島にとって、法政大学での選手生活は残り1年になる。ラストイヤーを前に考えていることは何か。「一生懸命さとか、ガツガツいくとか、泥くささ。そういう部分が、いまの法政には足りないと思います。1つ目、2つ目のセットよりも、トシ(伊藤俊之・FW、1年)がいる3つ目のセットが一番いいプレーをしていたと僕は感じます。体を使って、相手にプレッシャーを与えて、パックを奪って。そこからシュートを積極的に打って、リバウンドに詰めていく。そういうプレーを一番、3つ目のセットができていた。ほかのセットは、どこかきれいにやろうとして、あんまり(泥くさいプレーが)できていなかったんです。法政は、3つ目のセットと同じ泥くさいプレーをすべてのセットがしていけば、順位を上げていけるチームだと思います。もともと、うまい選手はたくさんいますから」。そのために福島自身、「一生懸命やることをチームに残していきたい」という。

本格的な競技生活が残り少なくなっていく中、福島の頭にあるのは、東京や故郷の横浜を含む首都圏のアイスホッケーへの思いだ。いま、アイスホッケーのトップリーグである「アジアリーグ」のチームは8つ。日本4、韓国3、ロシア1という構成で、日本の4チームは北海道に2つ、東北に1つ、栃木に1つある。「やっぱり首都圏にチームがあればと思います。地域が限られた中でやっていても、結局はマイナースポーツで終わってしまう。逆にいうと、東京でチームが成功すれば、大阪とか、愛知とか、そっちにも輪が広がっていく可能性があると思います。それと、これは学生の僕がいうことではないかもしれませんが、いまの時代、実業団スポーツではキツいのかなって。実業団チームは会社の事情で突然、チームがなくなることがありますよね。本当の意味のプロチームが全国にできるように、まず東京のアイスホッケーを変えていけたらなあって思います」。横浜と東京、洗練された都会で育ちながら、プレーはどこまでも泥くさい。それでもアイスホッケーを初めて見る人に一番「伝わる」のは、実は福島勇啓のような、一生懸命な姿のような気がする。

(記事は2019年2月に執筆)

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