アイスホッケーを第一に考えつつ大学での勉強にも意欲的な佐野。2月の集中練習は1日だけ休むが、「その日は教員免許の説明会なんです」。何事にも一生懸命なのだ。


小さいことは、長所なんだ。

 「セイヤ、行くぞ」。それが合図だった。生まれ育ったのは、アイスホッケーが盛んな北海道釧路市。この街をホームタウンとするトップリーグチーム「日本製紙クレインズ」の試合を見に行くことは、佐野靖也にとって、もはや生活の一部分だった。「お父さんが大のクレインズファンで、毎試合、一緒に見に行っていたんです。憧れたのは、小柄だけど得点センスのあるFWの佐藤匡史選手でした」。あの佐藤という選手は小さいけどうまいな、カッコいいな。いつしか佐野は、佐藤選手の姿を自分に重ねるようになった。佐野の背中にある「14」は、もともと佐藤選手のナンバーだ。

小さいころから、小さかった。現在の身長は160㎝。小学1年生でスティックを握った瞬間から、佐野のアイスホッケー人生はサイズとの格闘だったといっていい。「フィジカルでは大きな選手には勝てません。まずは動き続けること。たとえばコーナーだったら、相手に当たられても倒れないように。高校時代は、体を大きくするトレーニングよりは、体の軸をしっかりさせるための体幹トレーニングをやっていました」

小さな自分がアイスホッケーの世界で生き残るために必要なものは何か。多くの選手がそうであるように、答えは「スピード」だった。「スピードがなかったら、アイスホッケー選手として自分は何もできない存在だと思っています」。ゴールを狙ってアタッキング・ゾーンでシュートを放ったかと思えば、次の瞬間には味方のゴール前に戻って、パックを敵から奪い取ろうとする。サイズを補って余りある運動量の多さが佐野の特徴であり、武器だ。「パックを持ってドライブすることが自分では一番得意。敵陣をえぐってゴールに向かっていくプレーを意識して練習しています」

劣等感はなかったのか。「はい。アジリティ(敏捷性)って小さい選手の特権だと思うんです。大きな人は、リーチが長かったり足が長かったりしますが、そのぶん細かい動きが苦手です。小さいならではの動きができれば、それが自分の強みなんだと。佐藤選手もそうでした」

佐野にアイスホッケーを始めるきっかけをつくってくれた日本製紙クレインズは12月、今季限りでの活動停止を発表した。チーム存続のために多くの人が働きかけを行なっているが、来季、チームがどのような形になるのかはまだ決まっていない。「小さいときからクレインズに入りたいと思っていたので、廃部のニュースを知った時は、なんていうか、ショック…といったら簡単ですけど、複雑な気持ちになりました。トップリーグでやるなら地元のチームでという気持ちがずっとありましたから。でも、今も上(トップリーグ)を目指している気持ちに変わりはありません。これまで19年間、自分はホッケーしかやってこなくて、それは欠点でもあるとは思うんですが、根本的にホッケーというスポーツが好きでここまでやってこれたと思っています。できることならホッケーをずっと続けていきたい。それが素直な気持ちなんです。氷の上にいる時が、自分が一番輝いていると思うので」

釧路でも、佐野の母校・武修館高校でも、アイスホッケーといえばナンバーワンスポーツだった。佐野自身、高校2年でインターハイ優勝を経験している。「でも、関東に来てアイスホッケーと言っても、武修館高校と言っても、ほとんどだれも知らないんです。そこがショックというか、自分はそれだけ狭い世界にいたんだと感じました。日本は広いと思ったし、釧路から出てしまうとアイスホッケーは全然メジャーじゃないんだなって」

しかし、だからこそ佐野には、アイスホッケーを広めたい、全国の人に知ってもらいたい気持ちがある。そして、自分がその一部でありたいという希望も。「ホッケーをやっている人はもちろんですが、ホッケーをやっていない人にとっても、小さいことを欠点と考えている人が多いと思います。実際、でっかい人のほうが体も強いし、シュートも強い。でも自分は、小さいことをプラスと捉えて、小さいけどここまでできるんだ、小さいけどパックを相手から取ることができるんだ、小さいけどこんなに走ることができるんだと思ってやってきました。うまいプレーよりも、がむしゃらなプレー。一生懸命なプレーじゃなければ自分じゃないんです。一生懸命、走る。一生懸命、パックを追う。ホッケーを知っていても知らなくても、一生懸命な人を見て、人は感動すると思うので」。かつて佐藤匡史選手を見て憧れを抱き、同じ14番を背負ってアイスホッケーを続けてきた。次は、自分がプレーで表現する番だ。佐野靖也はアイスホッケーの可能性を信じている。

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