朝の光を浴びながら笑顔をキメる矢野。横チラ視線の向こうには大学キャンパス内のスタバがあり、女子学生が不思議そうな顔をしてこちらを見ていた。


仲間のために、すべて捧げる。

アイスホッケー選手の出身地をたどっていくと、北海道を筆頭に青森県、栃木県の日光など寒冷地が圧倒的に多い。そうした中、九州・福岡出身のFW矢野倫太朗(中央大学4年)の存在は異例ともいえる。「兄弟は5人いて、全員がアイスホッケー経験者です。僕は次男ですが、長男はやはりアイスホッケーの強い関西大学に行きましたし、弟も高校までは北海道でプレーしました。その下に妹・弟がいますが、みんなアイスホッケーをしていたんです」。兄・健志朗さんが子どものころ、福岡のスケートリンクに行き、すいすいと滑っている人と出会った。その人がアイスホッケー選手だったということで健志朗さんはホッケーを始め、矢野を含む4人の弟・妹も後に続いた。

健志朗さんは「アイスホッケー部のある高校へ」と福岡から大阪・関西大学第一高校へ。矢野はさらに本格的な競技環境を求め、進学先を北海道に求めた。インターハイの歴史上最初の優勝校でもある伝統校・苫小牧東高校。文武両道、かつアイスホッケー界に幾多の人材を送り出したこの高校で矢野は3年間、アイスホッケーに打ち込んだ。かつて名選手が汗を流した校庭の「外リンク」は、九州出身の矢野にとって新鮮かつ厳粛な道場だった。

高校卒業後は当時の大学アイスホッケー最強校・中央大学の白門をたたいた。大学に入ると、高校と比べてアイスホッケー以外に費やす時間が増える。矢野が打ち込んだのは勉強だった。授業も、あえて単位取得が難しい科目を選択した。「運動部の学生の中には、単位を取りやすい授業を選びたがる人もいますが、僕は、一般入試で入ってきた人と同じ授業じゃないと自分のレベルは上がらないと思いました。厳しい環境に身を置かないと成長できない。ただ、実際にやってみると大変でした。与えられる課題が多いですし、練習もありますし。でも、僕らの学年あたりから中央の選手はホッケー以外の分野に積極的になったと思います。いま、DFの小川翔太(2年)が他の部員と一緒にインドで子どもたちにアイスホッケーを教えていますが、部活動以外にいろいろ経験したいという人が多いのは中央大学の良さだと思っています」

大学生活の途中まで、アイスホッケー選手として身を立てようと考えていた。トップリーグである「アジアリーグ」に所属するチームの練習に出向き、氷に乗せてもらったこともある。しかし、最終的には競技者ではなく、4月からは広告業界へ。「これまでとは違う方向からアイスホッケーのために働ける人間になりたい」と夢を描いている。「矢野倫太朗という人間は、アイスホッケーでできているようなものです。もう何年も続けて、朝早く起きて厳しい練習をしてきたはずなのに、シーズンオフで何日か氷から離れると、ああ、ホッケーしたいなあって感じるんです。大学を卒業してからも働きながらホッケーをして、いずれはビジネスの面から日本のホッケーをもっともっとメジャーなものにしていきたいと思います」

アイスホッケーをスポーツビジネスに。将来的な矢野の夢はそこにある。「まず首都圏でアイスホッケーが盛り上がらなければ始まりませんし、アイスホッケーの世界でこれまで続けられてきたチーム運営は、今のスポーツ界の常識から見て、おかしなことが多すぎると思います。変えなければいけないことが多かったのに、これまではなんとかやってこれた。今回の日本製紙クレインズの廃部は、ホッケーチームの運営はこのままじゃいけないということが目に見える形で出たのだと思います。稼ぐという言い方がふさわしいかはわかりませんが、お金を集めなければ、ファンを喜ばせる演出や告知ができない。お金を集められないスポーツは、実際、盛り上がらないんです。でも、アイスホッケーはそこを変えようとしていない」

アイスホッケーが人の目を集め、多方面からのサポートを受けるスポーツに育っていくために、ブルーズで矢野が表現したいことは何か。「僕は技術で人をうならせる選手ではありません。チームのために体を捧げて、痛みをこらえる。そこが自分の良さだと思いますし、そこを見せていきたいと思っています」

矢野には忘れられない試合がある。大学2年生のインカレ。学生最大の大会で、しかし矢野は決勝のベンチに入ることができなかった。なんでオレは試合に出られないんだ。もうチームのことなんかどうでもいい。投げやりになった矢野の目に飛び込んできたのは、1学年下のFW、当時1年生の阿部翼の姿だった。「ツバサも僕と同じようにメンバーから外れていたんですが、リンクに落ちているゴミを拾ったり、自分がやれることを一生懸命やっていた。彼の姿を見て、チームのためにやれることがあるなら、たとえ小さなことでも全力でやるべきなんだと思いました。それまで自分は、チームと同じ目線に立ってホッケーをしていなかった。あの日の経験は、自分の価値観を変えてくれました」。その試合で中央大学は敗れ、矢野は泣きに泣いた。自分が出ていない試合で泣いたのは、ホッケーを続けてきて初めてのことだった。

「僕、中央大学に入るまでは、自分のためにホッケーをやっていたんです。活躍したい。自分が一番になりたい。自分の力でチームを勝たせたい。考え方が自分本位だったんですね。そうじゃない。チームのため、人のためにやることが大切なんだって知ることができた。応援してくれる人のため、チームメイトのために頑張りたいと思うようになれたんです。仲間のために自分を代償にする、犠牲になるスポーツがアイスホッケーです。こんなに仲間想いのスポーツはありません。そういうアイスホッケーの素晴らしさを大学最後の試合で見せていきたい」。2・16ブルーズ創設試合は、矢野が多くのものを学び取った東京での最後の試合になる。その日、彼が得点を決めるかどうかは現時点ではわからない。それでも彼が仲間のために戦うことは、100パーセント間違いない。

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