お父さんは「かいじゅう」と呼ばれた雪印・甲斐淳一さん。アイスホッケーへの熱い気持ちは、札幌を沸かせた大型ディフェンダーのDNAか。


東京が寒気に包まれた2月9日。うっすら積もった雪に心なごませる人も多かっただろう。長くアイスホッケーを見てきた人にとって「雪」は特別な響きを持つ言葉。かつて札幌をホームにした雪印アイスホッケーチームは、全日本選手権を含めてビッグタイトルに手が届くことはなかったものの、強さともろさが同居した個性派集団を愛する人たちは多かった。

このほどブルーズのメディカルトレーナーに就任した甲斐千尋さんは札幌出身。お父さんの淳一さんは雪印の大型ディフェンダーとして活躍、日本代表にも選ばれる名選手だった。甲斐さんは札幌・上野幌にあった雪印スケートセンターでお父さんを応援し、淳一さんの引退後は、転勤先の北海道・中標津(なかしべつ)で自らアイスホッケーをプレーした。「中標津はアウトリンク(屋外のスケートリンク)だったので練習できる期間は短かったのですが、楽しかったですね。でも、中学に入るとバスケットボール部の活動があったので、アイスホッケーは中学1年でやめてしまったんです」。甲斐さんはその後、釧路湖陵高に進み、札幌の北海道医療大学へ。2018年の4月に上京し、現在は明大前整形外科クリニックに勤務している。

将来はアイスホッケーのトレーナーとして第一人者になりたいという希望を持つ。「中学1年でアイスホッケーをやめてしまったことは今でも心に引っかかっていて、だからこそ、これからはアイスホッケー界の役に立ちたいと思っているんです」。秋の関東大学リーグ戦からは法政大学に帯同、普段は明大前に勤務していることもあり、同じく元雪印のDFを父に持つ相馬秀斗(明治大学4年・現在の登録はアイスバックス)ら、明治大学の選手ともつながりがある。ちなみに甲斐さんの弟・楓大もアイスホッケー選手。中央大学の2年生で、お父さんと同じDF、背番号44を受け継いでいる。

北海道にいた時は高校生の試合をよく見に行っていたという甲斐さん。上京するまで大学アイスホッケーはあまり見る機会がなかったという。「高校と比べて自由で、いいなあと思う反面、どこか緩い空気というか、緊張感を欠く時間帯があるように感じます」。そんな大学アイスホッケーも、多くのファンに見てもらう機会を増やすことで、そうした空気が徐々に変わっていくだろう。一度は離れたアイスホッケーだからこそ、今は真剣に向き合いたい。そんな甲斐さんの姿勢は、きっと学生にとって格好の教材になる。

勤務先でもアイスホッケー選手との縁が深い。将来はアイスホッケー界を医療の力で支えていきたいという希望を持つ。

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