大学4年目でタイトルを取れなかった以外に、悔いが残っていることは。その問いに金子は「もっとライブやイベントに行きたかったですね。肉フェスとか」。それだけアイスホッケーに打ち込んできたのだ。


さらば、青春の東伏見。

4年間の大学生活で、これが最後の東伏見だ。アイスホッケーの関東大学リーグは、西東京市東伏見のダイドードリンコアイスアリーナが主戦場。大学野球でいえばここは神宮であり、ラグビーでいえば秩父宮。東伏見は、カレッジホッケーの聖なる舞台だ。2月16日、東京ブルーズのファーストマッチは、金子将太朗ら4年生の選手にとって「ラスト東伏見」、特別な試合でもある。

東伏見で金子がもっとも輝いたのは3年前、新入生のシーズンだった。関東の大学アイスホッケーチームは、まず4月に関東地区のトーナメント戦、9月から11月にかけては長丁場の関東地区リーグ戦、そして年末(年始)には全国から予選を勝ち抜いた大学が集まってインカレを戦う。この3つですべて優勝すると「3冠」達成と呼ばれるが、金子は中央大学に入学した最初のシーズンに、大学アイスホッケー最高の栄誉を手に入れた。

金子にとってはこの1年目のシーズンが、うれしくもあり、悔いも残っている1年だという。「大学1年で3冠キーパーになることができた。うれしかったですけど、4年生になって振り返ると、当時はチームの練習で満足していた気がします。個人練習をほとんどしなかったし、自分自身を追い込んでいなかった」。金子が通っていた高校は北海道、というより日本一の名門といわれる駒大苫小牧高校。厳しい練習に明け暮れた3年間を過ごした後だけに、その反動がどこかにあったのかもしれない。

金子の頭の中には、トップリーグへの思いが強くあった。1年目でレギュラーをつかみ、2年生、3年生と「頑張り続けてきたという自負はあります」。チームの練習がオフになると1人で車を運転し、女子チームの練習に乗りにいった。駒大苫小牧高校でも、中央大学でも、メインのゴーリーの座を譲らず日本一に。アイスホッケーを職業にするという思いは、単なる憧れではなく、信念と呼ぶべきものだった。

ただ、アイスホッケーの「上の人」からは十分な評価を得られなかった。身長170㎝台前半の体が、現代のアイスホッケーにおいて不利と判断されたのか。トップリーグから誘いの声がかかることはなく、金子は4年生の夏、公務員試験にトライする。9月に入ると「合格」の知らせ。それを境に、金子は自分の心の変化を感じたという。「たとえばツナ缶で料理をつくるとき、それまでは油を必ず抜いていたんです。でも、公務員に受かってからは、まあいいか、みたいな」。アイスホッケーの世界に進めなければ、自分はニートになるしかない。そんなふうに考えていたはずが、いつの間にか危機感が消えていた。

4年生の秋のリーグは4位止まり。それでもリーグ戦の後半にチームも金子も復調し、集大成となるインカレに向けて良い感触をつかんだ。しかし、インカレは準決勝で東洋大学に敗れ、金子は肩を震わせて大泣きした。「悔いなく終わりたかったのに、悔いだらけです。あの時、もうちょっとやっておけばよかった、頑張ってきたつもりだけどもっと頑張れたんじゃなかったかって」。金子はかつて自身の4年間をこう振り返ったことがある。「1年目は高校時代の貯金で頑張れた。2年目、3年目は惰性で、4年目は成績だけを見れば最悪だった」。そこまで卑下しなくてもと思えるが、それだけストイックにアイスホッケーに打ち込んできたのだ。

ブルーズには当初、GKのコーチ役として参加するはずだった。GKに辞退者が出たこと、さらに金子自身が「このチームで試合に出たい」と強く望んだことで正式にメンバーに加わった。練習中は、プレーもそうだが、声とユーモアある動きで周囲を盛り上げる。ブルーズの初期メンバーとして、その存在は欠かせないものになっている。「秋リーグでラストかと思っていたけど、もう一度東伏見でプレーできる。今度が本当のラストですね」。インカレで流した涙は消え、それでも心のどこかに「悔い」は残っている。4月からは社会人。東伏見の氷の上に、金子は何を置いていくのだろう。

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