皆さん、こんにちは!

中央大学2年生、大学でもブルーズでも背番号28のDF、小川翔太です。

2月4日から13日までの10日間、インドの子どもたちにアイスホッケーの指導を行なってきました。行先はヒマラヤ山脈の麓、標高3500mに広がる「チクタン」という氷点下の町です。同行したのは中央のチームメイト、4年生の沖澤拡、3年生の佐藤稜、そして東京理科大大学院生の稲田健司さん。旅立ちの経緯、インドまでの往路に関しては1回目を読んでいただき、今日はヒマラヤでのコーチング、現地の生活ぶりについて書いてみたいと思います。

それに先立ち、訂正があります。昨日、ガンジス川と書いた箇所は、正しくは「インダス川」です。初っ端からすみません!(汗)。ブルーズ山口代表に間違いを伝えると「しれっと直しておく」ということでしたので、今ごろきっと訂正されていると思います。ちなみに山口代表にインドの話をすると、いつも「インドの山奥、出っ歯のおじさん♪」という歌を歌うのですが、正直、意味がよくわかりません。それはさておき今日は旅日記の「第2ピリオド」を書きます。今回も長いですが、最後までお付き合いください。

2月6日(水)~10日(日)

純粋な子どもたちに教わった、アイスホッケーの原点。

2月6日からようやくホッケーのコーチング・キャンプがスタートした。私たちはチクタンにあるパルギューという村に泊まっていたのだが、パルギュー、ズガン、カングラルという3つの村に分かれて指導をすることになった。私は1人でカングラルへ。カングラルのリンクは3つの村の中で一番大きく、正方形に近い形で、半分くらいはガタガタで使えない状態であるものの、面積でいうとNHLのリンクと変わらないくらいの規模だ。スケート靴やスティックは全員分がそろっているわけではなく、使い回しをしている上、子どもサイズのスケートが少ないため、子どもでも大人サイズのものを履いている子が少なくなかった。

私がリンクに着くと、氷上にいた全員が近寄ってきて歓迎してくれた。うれしい! この日の指導はスケーティングがメイン。スケーティングはホッケーにおいて一番大事な基礎の部分だが、人に教えるとなると言葉で伝えられないことが多く、これまでは感覚でスケーティングをしていたということに気付かされる。

不慣れな英語での指導で、自分が言いたいことが正しく伝わっているのか不安に思いつつ、ジェスチャーを交えて、なんとか伝えることができたのではないかと思う。指導のやりとりはすべて英語。インドの公用語はヒンドゥー語で、この地方はラダック語(ラダックとはチクタンよりも大きなエリアを指し、日本でいう〇〇地方という意味)が使われている。学校のテスト問題はすべて英語ということで、日本よりもむしろ英語を話せる人が多かったように感じた。私たちはラダック語を少しずつ教えてもらいながら、現地の人との距離を縮めていったのだが、満腹を意味する「ダンス」と、あいさつの「ジュレィ」は特によく使った。「ダンス」は覚えやすかったし、インドの食事が少し辛く感じてきた私たちを救ってくれた。「ジュレィ」は魔法の言葉だ。「おはよう」「こんにちは」「こんばんは」「はじめまして」「ありがとう」など、とりあえず「ジュレィ」と言っておけば相手との距離が縮まるのだ。「ジュレィ」、いいなあ!

コーチングの時間は1回あたりだいたい2時間。日本でいえば過疎地ともいえる場所にもかかわらず、30人から50人ほどの子どもが集まってくれた。みんな、目が輝いているように見えたし、たとえ自分のスケートがない子でも、うまい、へたにかかわらず、ただただホッケーを楽しんでいた。私はふと、自分の日常を振り返った。大学のチームに所属していると、毎日がベンチ入りや上のセットに行くための競争であり、ポジションの争奪戦だ。そういう日々の中で、アイスホッケーを楽しむことを忘れていたのではないか。それをインドの地で痛感させられた。

2時間のコーチングが終わると、氷上にマットを敷いてティータイムが始まる。インドでは1日に飽きるほどのティータイムがやってくる。まず朝にティータイムで起こされ、昼前にもう一度ティー、午後にもティーがあって、最後は夕食前に。それ以外の時間でも、隙あらばティーがやってくる。さすがはインド、お茶大国のイメージは間違いではなかった。

お茶の種類はミルクティーとバターティーが主流。バターティーというのはピンク色の紅茶で、正直、私にはしょっぱさしか感じなかったが、本当はバターの甘みを感じるらしい。1日に8杯近く(1回のティータイムにつきお代わりが注がれるので2杯ずつくらい飲むことになる)飲んでいると、最初はおいしいと思っていても、あまりに甘くて次第につらくなってくる。現地入りした次の日からは、砂糖を抜いたブラックティーを出してもらうことにした。

ティータイムのお供には毎回、バタークッキーが出てくる。市販されているもので、だいたい20ルピー前後(日本円で30円くらい)。これもまた甘い! 寒い土地だから甘いものが好まれるのかよくわからないが、ティーとクッキーはどれも、とても甘かった。お店はどの村にも2件ずつくらいあり、住民はそこで購入している。お店は主にお菓子をメインに売っているほか、インスタントヌードルや文房具も置いてあって、日本でいうところのコンビニだ。村にお店があることにも驚いたが、ここ以外にお店が存在しないことにはもっと驚いた。つまり、村の大人の大半が無職であるということだからだ。本城さんによれば、一族に1人、お金を外で稼いでいる人がいれば、他の家族は暮らしていけるのだという。

私たちがホームステイさせてもらったジェファール君の家族は、お父さんのアマンさんが国境警備隊(チクタンの500㎞先はパキスタンとの国境)の幹部ということで、いとこも含め、みんなアマン家のお手伝いをして小遣いをもらって生活しているようだ。そういうわけで、山の下にある家に住んでいる親族の子どもたちがアマン家の薪を割りに来たり、荷物運びをしに来てくれたりした。ちなみにジェファール君は働いていなかった。これが噂に聞いていた、身分社会なのか。

このような感じでティータイムから始まり、朝食を食べ、カングラル村でコーチングを行い、ティータイムから昼食となり、別の村に移動して、コーチングやミニゲームを行い、ティーをしてから午後のオンアイス、夕食をいただいて終わり。そんな日が5日間、続いた。

2月7日には雪が降った。カングラルからパルギューへの道は雪で寸断され、まるで陸の孤島だ。そのためパルギューでのコーチングもキャンセルとなったが、あまりに暇だったので、午後、私たちは雪かきをしてホッケーを始めた。すると、それを家から見ていたのであろう、村の子どもたちが続々とリンクに集まってきて、急遽、ミニゲームがスタートしたのである。今までの人生の中で、自然発生的にホッケーのゲームが始まるなんて経験したことがない。なんだかとてもうれしい気持ちになった。ここでのホッケーは、日本でいう「公園サッカー」の感覚なのだろう。

ただ、うれしい反面、屋外リンクならではの厳しさも味わった。ホッケーができる状態になるまで雪かきをしなければならないのだ。雪かきは1時間以上かかった。この日は5㎝ほど降り積もった雪をスコップや鉄の板を使ってかき出すところから始まり、それが終わると残った雪をほうきで掃いていく。だが、このほうきがやけに短い。どうしてなのか疑問に思ったが、どこの村で売っているほうきも柄は短かったので、これがインドでは一般的なのだと思った。屋外リンクは環境に大きく左右されるが、それを味わえたことも屋内リンクのありがたみを思い出させる良い経験になった。

インドの中でも田舎のチクタンでの生活はどのようなものかも紹介したい。

まず家について。家は土と木でできたものが主流であった。木の枠組みに土を乾燥させた壁で床にはじゅうたんが敷かれていた。それぞれの扉には「のれん」のような防寒用の布が付いており、屈まないと入れないほど狭い。入り口の先にあるその布は、防寒の役割を果たしつつ、常に私たちの行く手を阻んでいた(笑)。私たちが滞在したパルギュー村は、山の斜面に家が建てられ、重機のないこの土地でどうやって家を建てたのだろうと不思議に思えた。

部屋の中には薪ストーブがあった。煙突で煙を外に排出するのだが、パイプのつなぎ目がもろい。この村にはストーブの修理業者など存在しないので、人々は煙突用の太めのパイプを買ってきて、ちょうどいい長さに切ってつなげて自力で調達、修理もする。そこにいる人の力を合わせて村全体で自給自足の生活をするなんて、すごいな。

次に食事について。インドといえばカレーというイメージは間違っていなかった。空港で食べたカレーはとても辛かったが、それがノーマルのようだ。日本人にとっては激辛だったので、ホームステイの際にはスパイス抜きでお願いした。そうしたら毎日、ダルを食べることとなってしまった。ダルというのは、カレーからガラムマサラという辛いスパイスを抜いたもの。辛さはまったくないが、具は豆のみで、口触りも豆の粉っぽさを感じて正直、口に合わなかった。現地の人も同じ食事をとっていたようなので、これが普通なのだろう。日本人も毎日のように、しょうゆ風味のものを口にしているのだから、日本を訪れた外国人は飽きるのだろうか。私もインド滞在の後半にはさすがに飽きてきたが、「郷に入っては郷に従え」ということで、毎日ダルを食べ続けた。途中、どうしても肉が食べたくなったのでお願いしたら、チキンやマトンを入れてくれた。もちろん骨も入っているが、インドではそれが普通。日本のように、スーパーで毎日、骨なしのお肉を買えることは、けっして当たり前のことではないのだ。

昼と夜は、ほとんどの日がダル。朝は目玉焼きと甘みのないナン。ナンをちぎって目玉焼きを包んでつかんで食べるのがインド流で、朝食はおいしくいただけた。

ちなみに、ダルとともに食べるのはお米。米といっても、パサパサのシラスのようなものだった。ただ、このお米をチャーハンにするとなかなかイケる。この地域はインドといっても最北部で、文化圏はチベット。独特のスパイスの風味があり、チャーハン(Fried rice)やラーメン(Tukpah)、餃子(Mok Mok)、焼きそば(名前は忘れました)といった中華に近い料理が存在しており、私たちにとっては安心できる食事だった。ただ、これらの料理は特別な価値があるもののように感じられた。

もうひとつ私が驚いたのは、動物がたくさんいたこと。出発前は高地の寒い土地に動物はいないだろうと思っていたが、犬、猫、羊、ニワトリ、ヤギ、牛などがいた。犬は宗教上の理由で(と教わった)、レー空港の周りにはたくさんいたのに、チクタンには1匹もいなかった。インドらしかったのは、牛。民家の近くや道路に、当たり前のように牛がいた。もちろん、リンクのすぐそばにも牛がいた。さすがインド、驚いたぜ。まさに教科書で見たやつだ!

このように、当たり前のことだが、インドには日本とはまったく違う文化があり、生活があった。日本人の私には受け付けられないようなものも中にはあったが、互いの文化を理解し、尊重しながら生活することは、日本から出てみないと経験できないし、ましてインドの山奥に昔から伝わる伝統的な暮らしはなかなか体験できない。本当に行ってよかったと思う。

話をホッケーに戻すと、コーチングをした5日間で、子どもたちはみるみる成長した。最初はスネーキングもブレーキもあまりできなかった子たちが、あっという間にできるようになったのだ。子どもが進化していく姿を見るのは、コーチングをする上で何よりうれしい。今までコーチという立場になったことがなかった私にとって、コーチングの難しさや達成感を味わせてもらえた貴重な経験になった。

氷のコンディショニングについても、現地の人にいろいろ伝えてきた。チクタンの中でも整氷をしてくれる大人の少ないパルギューだけに、氷は穴だらけだった。私たちは穴の埋め方をレクチャーし、滞在期間中に氷の質はだいぶマシになった。当然、整氷車などはなく、夜の水撒き、練習前の雪かき、ほうきでの除雪だけ。ほうきの柄が短いので除雪はなかなかしんどかったが、そこまでしてもホッケーがしたいという彼らの熱量は、どの国にも負けていなかったと思う。

私のような未熟なコーチに対し、成長しようと目を輝かせて練習し、コーチング以外の時間でもいろんなことを聞いてきてくれた子どもたち。お互いにとって、有意義な時間になったと思っている。忘れかけていた「ホッケーを楽しむ」こと。そして「上達したい」という思い。アイスホッケーをする上で原点ともいえることを、逆に私が、子どもたちから学ばせてもらった日々でもあった。

う~ん、われながら長い。長すぎる。そんなわけで、旅の後半と「まとめ」は第3ピリオドに書くことにします。今日も長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。

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