東京理科大大学院生の稲田さん(左)、現地の女の子たちと。インド滞在中は、いつもこうして笑っていたように思う。



皆さん、こんにちは!

中央大学2年生、大学でもブルーズでも背番号28のDF、小川翔太です。

2月4日から13日までの10日間、インドの子どもたちにアイスホッケーの指導を行なってきました。行先はヒマラヤ山脈の麓、標高3500mに広がる「チクタン」という氷点下の町です。同行したのは中央のチームメイト、4年生の沖澤拡、3年生の佐藤稜、そして東京理科大大学院生の稲田健司さん。今日は3回連載の最終、第3ピリオド。インドを離れて日本に戻るまでの出来事、そしてこの旅を振り返って書いていこうと思います。もうお分かりと思いますが、今日も長編です。インドの修行僧になった気分で読んでいただければと思います。

2月11日(月)

時間に追われない生活。もしかしたら、それも「豊かさ」なのかも。

インドの旅も終わりに近づいてきた。今日は、チクタンに別れを告げる日だ。朝、カングラルでのクロージングセレモニーに出席した後に、パルギューでの記念ゲームとクロージングセレモニーに参加、空港のあるレーに移動する予定で一日がスタートした。

しかし、コーチング期間中もそうだったが、時間通りに進まないのがインドだ。期間中は毎日、スタート予定時刻から1時間ほどスケジュールが遅れていたが、最終日になってもそれは変わらなかった、というより、それまでよりさらに遅れていた。まず30分遅れで迎えにきてくれた人と一緒にカングラルへ。直接、クロージングセレモニーに行くのかと思いきや、いつもお昼ごはんを作ってくれていた家でティータイムが始まった。この時はティータイムというより朝食だった。ホームステイ先で朝食を食べていたので満腹だったが、おいしくいただいた。

クロージングセレモニーでは、コーチングをした子どもたちが並んで待っていてくれ、村のみんながリンクに集結した。リンクへ行くとまたもやティーが用意されており、しばらくすると村長が子どもたちに話を始めた。その後、記念品をいただき、私が用意していたノートと鉛筆を子どもたち全員に手渡した。この地の子どもたちにとって、ノートや鉛筆は貴重なものなのだと実感した。物を大事にすること、勉強に励むこと、家の手伝いをすること、そんな、当たり前だけど当たり前にはできていない私たちにとってはお手本のような子どもたちだ。

セレモニーが終わると、パルギューに移動。カングラルのキッズ対パルギューのキッズ、インドチーム対日本チームという2部構成の記念ゲームが行われるのだ。先に行われるキッズゲームのあいさつが終わり、円陣が終わってさあ試合と思いきや、なぜか練習が始まった。予定時刻を過ぎても、試合はいっこうに始まらない。聞くと、プレジデントが来るのを待っているようだった。

プレジデントが登場したと思ったら、どうも見覚えのある人だ。なんと、ズガンで私たちのお世話をしてくれた方だったのだ。築300年の寺院に住んでいることが納得できた。キッズゲームはパルギューの勝利で終わったが、両チーム最高のプレーを見せてくれた。試合中は村をあげての応援が繰り広げられた。パルギューのリンクでの試合はクロスアイスに近いサイズだったが、小さいとはいえ、周りをぐるりと囲む観客と応援は圧巻だった。へたをしたら関東大学リーグの試合よりも盛り上がっていたのではないか? そう思えるほどだった。やはりプレーしている人も応援している人も楽しんでいることが、盛り上がりにつながるのだろう。選手も観客も楽しむこと。これは、大学リーグにもブルーズの試合にも応用が効くのではないかと思う。

さあ、次は日本チーム対インドチーム。私たちのチームにはジェファールが加わった。ちなみにジェファールはインドのU18代表選手だ。相手のインドチームにはU20代表選手も何人かいたが、私たちもコーチとして来ている以上、絶対に負けるわけにはいかない。だいぶ本気になって点を入れまくった。結果は圧勝だったが、お互いとても楽しむことができた最高の試合だった。

試合は当初の予定よりも2時間以上、遅れて終了した。結局、クロージングセレモニーは行われず、流れ解散のような形でチクタン滞在は幕を閉じた。インドに1週間もいれば、このくらいの遅れは想定内になってくる。その日の夜のうちにレーに到着し、翌日の飛行機で無事に帰国できたわけだが、最後の最後まで「インド」だった。

レー空港では、出発フロアに入ろうとしたら扉が開いていない。寒い中を1時間ほど待っていると、やっと扉が開いた。その時点で、離陸予定時刻まで1時間。乗り遅れることはないと思ったが、明らかにこの時点で離陸が遅れることは予想できた。ところが、驚いたのがこのあとだ。荷物を預け、保安検査を通って搭乗ゲートの前まで行くが、搭乗ゲートには係員がいない。いくら待ってもゲートが開かないものだから、さすがのインド人たちも不安か、焦りか、ゲートの周りに集まりだした。結局、飛行機は2時間遅れでレー空港を飛び立つことになった。

デリー空港への到着も、当然2時間遅れ。もともとトランジットが7時間あったので、そこそこ余裕を持って行動することができた。ああ、ようやく日本に帰れる。そう思ったが、日本への便がまたもや遅延。21:15発の予定が、飛び立ったのは24時近くだった。やれやれ、やはり最後までインドはインドだ。高山病の症状が出たり、お腹をこわす人もいた。私自身、スケジュール通りに進まない日々にストレスを感じたりもしたが、思い出に残るとても楽しい旅だった。

さて、旅の感想、学んだこと、感じたことを簡単にまとめてみたい。

日本に帰ってからは、あらためてこの国は快適だと思えた。トイレはきれいで、当たり前のようにウォッシュレットが付いている。空港で4人で海鮮丼を食べて解散したのだが、海鮮丼、味噌汁は言うまでもなく、お茶までが感動的レベルでおいしかった。夜にはお好み焼きを食べ、翌日は焼き肉。もう、何を食べてもうまいのだ。

一方で、インドは飛行機も時間通りに飛ばないし、電化製品が揃っていなかったり、なんでも買い揃えられるわけではない。日本から見れば、貧しいように見えるかもしれない。ただ、それでもインドにはインドの「豊かさ」があったように思う。

日本人の求める豊かさとは、言い換えれば「便利さ」だと私は思う。日本に帰ってからは、コンビニがまるで神のように思えたりもしたが、それは真の豊かさとは違うのではないか。コンビニには食べ物や飲み物が豊富にあり、お金を出せば簡単にそれを手にすることができる。インドにいる人から見たら、うらやましいと思える環境かもしれない。

一方で、インドの人たちには、日本にはない「豊かさ」があったように思う。彼らはいつも笑顔だった。一緒にいる私たちも、いつも笑っていた。もちろんコンビニはないし、いろいろな物が足りなかったりするけれど、村の人たち全員で協力し、和気あいあいと暮らしていた。ホッケーをしているときも、ホッケーをしていないときも、生活そのものを常に楽しんでいた。日本には物があふれ、たいがいのことはお金を出せば簡単にかなえられる。そのことに慣れすぎて、ありがたみを忘れてしまっているのではないだろうか。便利さばかりを追い求め、人間としての豊かさを見失っているのではないか。そんなことを感じた10日間だった。

インドに行ったことで、日本での生活がいかに便利で、ありがたいものであるかに気づくことができた。インドに滞在した期間は、毎日、笑い続けていたことが何よりの収穫だった。これから先、私は中央大学のアイスホッケー部員として優勝を目指し、将来を見据えて就職活動をする日々を送る。そんな生活の中で、本当の豊かさってなんだろうと折に触れて自分に聞いてみたい。それが、チクタンに住んでいる彼らのように、本当に豊かな生活を送れることにつながるのではないかと思うからだ。

さて、全3ピリオドにわたる私のインド旅行記もこれで終わりになります。旅に行って、帰ってきて、おしまいではなく、こうして自分の思いを含めて書きだしてみることで考えを整理することができたと思っています。この4月に3年生となり、大学生活も後半に入ります。今回の旅の経験を生かし、残り2年間も充実させたものにしていきたいと思っています。4月の関東大学選手権でお会いしましょう!

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