頭の隅に、というか割と真ん中に近い場所に「続きを書かなきゃ」という気持ちはあった。ただし、言い訳はしない。フィギュアスケートファンの皆さま、長らくお待たせして申し訳ございません。2月7日に「前編」で一時停止していたコラムを再開します。

まずは2月16日、ダイドードリンコアイスアリーナで開催したアイスホッケー「東京ブルーズ創設試合」に多くのフィギュアスケートファンの方に来ていただいたことに、あらためての感謝を。選手も「なんか今日は、いつもとお客さんの雰囲気が違いますよね」と言っていたほどで、初めてアイスホッケーを見に来た人が多いことが、会場の空気から伝わってきた。普段の大学リーグは、得点シーンでこそ多少のノイズが生まれるものの、それ以外はシーンとしている。「初めて競技を見る人」特有の新鮮な驚きの声は、スポーツの興行を盛り上げる上で大切な要素で、これからも新しいファンを増やすための試みを続けていければと思っている。現状、次回の試合は5~7月のどこかでと考えているのだが、今のところリンクの貸し切り日時が決まっておらず、相手チームとの調整も進んでいない。決まり次第、すぐにこのサイトで告知させていただくので、上に1枚、羽織るものを持って、初夏のアイスホッケー観戦を楽しんでいただければうれしい。

コラムの「後半」をなかなか書く気になれない理由も、あるにはあった。羽生結弦選手とそのファンをアイスホッケーに利用して…という声をもらったからだ。そういわれるとこちらも書きにくくなるもので、羽生選手、ファンの人たちの名誉のためにも、少し時間を置いたほうがいいのかなと思った。2月16日のホッケーの試合の前後に、母親が病気をこじらせて体を動かせなくなったことも重なった。母親はもともと脳の病気があり、体に障ると思って、昨年3月に出版社をやめたことをまだ伝えていない。2月の試合に招待して、黙っていたことを詫びようと考えていたのだが、それは次回以降に持ち越しだ。そのときは会場を満員にして、なんとか理解してもらえれば…なんて書くと、「今度は親の病気を利用するのか」なんて書かれちゃうのかな。

羽生選手も、ファンの人たちも、いろんなことを言われて、書かれて、そのたびに傷ついてきたのだろう。この「アイスポ!」も、サイトの立ち上げにはそれなりに費用がかかったし、それでも多くの人に楽しんでもらいたくて無料で公開しているのだが、その記事をネタにして、大学のアイスホッケー選手をSNSで攻撃する人がいる。僕は長らく、言葉の世界で生きてきた。言葉とは元来、人と人を結ぶもの、人生を豊かにするためにこの世に生み出されたものだ。スポーツ、インターネットも同様で、人間を幸せにするために生まれてきたはずなのに、それを意図的に、他人を傷つけるために利用する人がいる。そういう大人を見て、学生たちは何を思っているだろう。

その一方で、ありがたい言葉を届けてくれる人もいた。アイスホッケーを愛する人はもちろん、フィギュアスケートのファンの人からも。届いたメールの一部を紹介したい。

「山口さん、久しぶりの文字〇ロを楽しく拝見しました。3月、世界選手権が埼玉でありますね。山口さんの(中略)美ボディを引き立たせるシースルーの衣装がとてもセクシーで気に入っていて、いよいよその姿が見られるとワクワクしています」

「お久しぶりです。今シーズンはマガジンが発行されないのを寂しく思っているファンの1人です。この夏はトロントに行かれましたか? 山口さんの(中略)白シャツで振り向いている写真、とても素敵です。さすが能登カメラマン!」

衣装にしても、能登さん(ご無沙汰しています)の写真にしても、ちょっと自分の記憶にないのだが、久しぶりのフィギュアスケートのコラムを読んで、混乱しておられたのだろうか。いずれにせよ、いただいた言葉を真摯に受け止め、勘違いすることなく仕事に取り組んでいきたい。

さて、前置きが長くなったが、前回のコラムの続きを始めたい。

2018年2月16日と17日。平昌五輪のフィギュアスケート競技・男子シングルは、僕のこの五輪での最後の取材でもあった。羽生は16日のSPで首位に立ち、翌日のフリーに臨むことになり、そこでも圧巻の演技を披露した。五輪当日、本来の滑りができるのか。ほんの数日前までそんな不安を抱かせていたことを忘れさせる滑りだった。前年秋のNHK杯で負傷して以来、この日を迎えるまでに立てられた綿密なプラン。ジャンプ構成の練り直しと、演技中のミスをカバーするパーフェクトな対応。そこに羽生の技術と経験値、彼を支えるスタッフの熟練度、そして互いの信頼関係の強さがすべて凝縮されていた。金メダルとは、手元のカードが完璧に揃ったときに初めて手にできるものなのだと、あらためて思わされた。

演技後、羽生がミックスゾーンに姿を現したのは、演技を終えてから1時間をゆうに過ぎていた。そのせいもあってか、記者の前に立つ彼はとても落ち着いていた。僕はいつものように羽生に近いポジションを確保し、彼の表情を目で追いながら声を拾った。オリンピックに出られるかどうかの瀬戸際から、本当にやってのけた。僕よりずっと年下だけど、男として尊敬する。そう感じた。

とんでもないことをやり遂げた人間ほど、意外に平然としているものだ、とも思った。羽生結弦はこの後の人生において、自分を飾ったり、大きく見せようとすることはないだろう。もはや、その必要がないからだ。翻って20代前半の男の多くは、まだ「何者でもない」存在だ。自分にはこれだけのことをする力がある…と思っても、そのあとに「はず」という言葉が付いて回る。何かを成し遂げたいという夢があり、おそらく自分にはそれを実現する力がある「はず」で、しかし、実際にはまだその経験がないから確固たる自信は持てない。学生時代の僕もそうだった。しかし羽生は、生まれてまだ23年なのに、歴史を塗り替えてしまった。同じ男として尊敬できると思ったのは、それが理由だ。

ミックスゾーン、オフィシャルの会見を終えて、江陵アイスアリーナを後にする時間が来た。翌日のメダリスト会見はこのリンクではなく、平昌のジャパンハウスで行われる。前年の四大陸選手権と合わせ、何度も通ったこの会場ともお別れだ。「これからやんなきゃいけないことがいっぱいだなあ」という重圧と、「これでオレの記者生活も終わりなんだ」という感傷。他社の記者には、一部の人を除いてこれからのことを言っていなかったが、軽いあいさつだけ済ませて、メディアビレッジに戻るシャトルバスのバス停を目指した。羽生が氷の上で戦っていたように、記者たちは目の前の原稿と格闘している。そのためにこの江陵までやって来たのだ。それを遮る権利は僕にはない。

シャトルバスの窓からアイスアリーナの屋根が見えた。ここの屋根はピンクだの緑だのと色が変わるのだが、それを見ながら思い出したのは、やはり、あのNHK杯の大阪で見たファンのことだった。「ね、言ったでしょ。必ず最後に愛は勝つ、ハッピーエンドになるって。信じて待っていたかいがあったね」。そう思った。

翌日は江陵から1時間ほどバスに乗り、平昌へ。羽生の「一夜明け会見」を取材した。それまで抱えていた荷物をおろし、ひと眠りしたことでリラックスしていたのか、羽生は普段以上に饒舌でにこやかだった。「今日の羽生はしゃべるねえ」と、記者同士が顔を見合わせたほどだ。会見は昼前に終わり、僕はバスを乗り継いでメディアビレッジに戻り、いつものように食堂でチヂミを買い、部屋でそれを食べ、2週間まったく掃除をしていなかった(忙しかったんです)部屋を片付け、荷づくりをして江陵駅へ向かった。そこからKTXに乗り、ソウルのホテルで原稿を書き、朝一番の飛行機に乗って羽田まで飛んで…それからのことはほとんど記憶にない。とにかく時間との戦い、締め切りとの戦いだったからだ。

会社に戻ると、販売部からメールが送られてきた。「山口さん、発売前の時点でアマゾンでトップです!」。それまでにも何度か、スポーツ部門で1位にしていただいたことはあったが、日本のすべてのジャンルを含めてトップだったのだ。しかし、このとき自分の中にあったのは恐怖だった。残っている作業と残り時間からみて、すべての原稿を期限までに印刷所に渡せそうになかった。発売日までに書店や業者に本が届かなかったら、どうなるんだろう。わが人生最大級のピンチだったし、正直にいうと震えが来た。

最終的には販売担当者と印刷所が最大限のカバーをしてくれて、どうにか間に合わせることができたが、そこで痛感したのは、人から期待してもらうことの喜びと、責任の重さだ。人は応援されることで、気持ちを前に向けることができる。羽生はそれを誰よりもよく知っているし、江陵での最初の会見でファンへの感謝をまず口にしたのは、2017-2018シーズンは、応援が特に心に沁みたからにほかならない。前回王者にしかわからない重圧もあっただろう。痛めた右足が治りきっていない状態で、多くの人の期待を背負い、たった1人でリンクに立つ。それを何千もの人がスタンドで、何万もの人が中継を通じて、じっと見つめるのだ。普通なら逃げ出したくなる。

よし、いくぞ。演技が始まる直前、羽生の気持ちを奮い立たせるものは、やはりファンの存在だった。「皆さんの応援が力になります」というアスリートを目にして、カッコつけるなと言う人がいたなら、きっとその人自身、応援された経験がないのだろう。人は誰かの支えによって、自分の奥底にある力を引っ張り出すことができる。科学的に証明できないので断言できないが、もしかしたら、応援によって力以上のものが出るのかもしれない。

多くの人から「応援したい」と思わせることは、おそらく羽生結弦の実力を形成する上で大きな要素だ。応援したいと思わせる空気、応援せずにいられない空気を身にまとうことも、フィギュアスケーターにとっては大切な技術なのだと思う。山の9合目までは、本人の努力によってたどり着けても、その先、本当のてっぺんに行けるかどうかは、きっと、応援してくれる人がどれだけいるかで決まる。そのジャンルを知る人が応援するのは「スター」で、世の中全体を味方につけられるのが「スーパースター」。羽生結弦がどちらに属するかは、いうまでもないだろう。人から応援されること。それは羽生が持つ才能であり、だからこそ彼はあの窮地から蘇り、オリンピックで再び勝った。そして羽生結弦のファンは、応援がどれだけ大きな力になるかを知っている。だから震災に遭われた人を支援し、ファン同士でも、何か困ったことがあれば助け合っているのだ。

「愛は勝つ」。1年前、僕はその言葉で、羽生結弦と彼のファンの人を励ましていたつもりだった。しかし、今考えると、それはとんだ思い違いで、自惚れだった。人を動かすのは、人の愛情だ。僕はそれを羽生結弦と彼のファンから教わった。僕は、羽生とファンにメッセージを送っていたのではなく、彼とファンからメッセージを受け取っていたのだ。

平昌五輪が終わり、とりあえず僕は「この1年はアイスホッケーのことだけ考えよう」と決めた。あれから1年が過ぎ、今は考え方が変わってきている。東京ブルーズの学生には「人から応援される人間になろう」「アイスホッケーの世界ではなく、社会全体を見よう」と言い続けてきたが、僕自身はどうだったか。社会の人たちに、どれだけの喜びをもたらしたか。人から応援されるようなことをしてきたか。学生よ、申し訳ない。僕自身、この1年はそれをできていなかった。

2019年2月17日、すなわち羽生結弦が平昌五輪でメダルを獲ってから1年が経ったことを区切りに、アイスホッケー以外のスポーツをもう一度、深く見てみようと思った。いろんなスポーツに飛び込んでいき、いろんな人と出会い、いろんな人を喜ばせる。それが必ず、アイスホッケーをよくすることにつながっていくと思うからだ。

日本のアイスホッケーは、こういってはなんだが、今、非常にうまくいっていない。そういう競技は、やはりそれなりの問題を抱えているもので、この1年は「楽しさ3パーセント。つらいこと97パーセント」だった。でも、アイスホッケーが多くの人に応援してもらえる競技になれば、その比率は逆転する。

それまでずっと、僕は言い続けるだろう。愛は勝つ。必ず最後に、愛は勝つ。嫌なことがあって、挫けそうになる自分に向かって、何度も何度も言い続けていくんだと思う。

文・写真/アイススポーツジャパン代表 山口真一

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