歴史が刻まれた寮の白壁を前に、笑顔でポーズをキメる徳光。思い出深いこの寮とも、引っ越しのためにもうすぐお別れ。


見せてくれ、ゴールと笑顔を。

「とくみつ・りく」と読む。こうしてみると名前の3文字は、彼の人となりをそのまま表すかのようだ。徳があって、笑顔まぶしく、心はおおらか。きっと大学のクラスメート、チームメイトからの人望も厚いのだろう。

2月のユニバーシアード日本代表。FW3人のうち、真ん中がセンター、両脇の2人をウイングと呼ぶが、徳光はウイングのポジションで光を放ってきた。相棒ともいえるセンターは、小学校時代からの盟友・宮本明朗(みやもと・あきら、中央大学3年)。宮本-徳光のコンビネーションは、関東大学リーグの見どころの1つでもある。

プロチーム・アイスバックスのホームタウン、栃木県日光市で生まれた。史跡と自然の宝庫・日光は、冬の寒さが厳しく、アイスホッケーのまちとしても知られる。徳光も周りの子と同じように小さいころからホッケーに親しみ、清滝幼稚園、清滝小学校、小学2年から安良沢(あらさわ)小学校でプレーした。ポジションはそのときからウイング。「小学6年の時だけ、1年間ディフェンダーをやりました。スケーティングを安定させたかったので」。物事を総合的に考えて判断する、徳光らしさを感じさせる。

安良沢小学校では大きな出来事があった。前述したセンター・宮本との出会いだ。「当時から明朗の足が速くて、うまくて、明朗に渡せばほとんど決めてくれる、みたいな感じでした。だから小学校の時はあんまりコンビという感じではなかったです。中学2年生くらいからですかね、コンビネーションっぽくなってきたのは」。日光中に入学したときはライバル・日光東中に歯が立たなかったが、宮本-徳光コンビが3年生のときは「一度も負けなかったと思います」。やがて2人は日光明峰高に進み、卒業後はやはり同じ中央大学へ。コンビを組んで、もうかれこれ14年になる。

子どものころ、徳光はアイスバックスよりも、大学でプレーする姿を頭に浮かべていた。「当時、プロは自分には遠い世界でした。プロに進む選手は、学年の中で何人もいないですしね。自分がそこまでできる選手とは、とても思えませんでした。それより身近な目標として、大学でホッケーをすることを考えていた。大学生になった今はプロを目指していますが、教職をとっているので先生になる選択肢もありますし、金融に進むことも視野に入れて英語の勉強をしています」

今年2月にはカナダ・トロントへ留学した。トロントは世界有数のホッケータウンだが、競技のための留学ではなく、英語を学ぶためだ。「大学では日本史が専攻です。でも、英語に興味が出てきて、留学すれば視野も広がるし、チャレンジしてみたいと思ったんです」。ユニバーシアードに選ばれたため留学は2週間で切り上げることになったが、ホームステイをしながら現地の学校に通う日々は新鮮だった。

「日常の会話くらいしか話せないんですが、言葉の壁はあっても笑顔さえあれば通じるんだと思いました。それも、作り笑顔ではなく、心からの笑顔。言葉を勉強しに行ったのにこういうのもおかしいですが、言葉以外にも気持ちを伝えるものがあるんだと思いました。笑顔って本当に大切だなって」。だからなのか、徳光は本当に明るく笑う。見ているこちらの気持ちも晴れ晴れするくらい、いい笑顔を見せる。

大学生活も残り2年を切り、そろそろ卒業後の方向性を決めなくてはならない。「プロの選手も考えていますが、総合的に考えて、これは違うなと感じたらプロはすっぱりあきらめます。ただ、どんな道に進むことになっても、ホッケーの良さを広めていきたい。裾野の部分でも、できることはあると思うので」

ブルーズでは宮本と同じセットを組む。「観客の方には、ゴールを見ていただきたいです。初めてホッケーを見る方は、最初はルールもよくわからないと思いますし、やっぱりゴールが一番わかりやすいと思うんです。明朗とのコンビネーションで、きれいにパスをつないでシュートを決める。魅せるプレー、それが僕なりのホッケー界に対する貢献だと思っています」

見てほしいのは、もう1つ。徳光がゴールを決めた後のビッグスマイルだ。見る人を幸せにする、心からの笑顔。それもきっと、徳光だからこそできるアイスホッケーへの貢献だ。

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