3月の世界フィギュアスケート選手権で、今後の競技生活への意欲を新たにした羽生。ファンの応援が演技内容と選手の意欲を高め、競技自体を育てていることを感じさせた。


世界選手権が終わった。正確にいうと、日本代表が戦う世界選手権の「ディビジョンⅠ・グループB」が5月4日に閉幕した。今大会は6カ国間の激しい競り合いになり、日本は2勝3敗で3位。昇格を逃し、しかし降格を免れ、負け越しながらもメダリストという不思議なポジションで大会を終えた。

ホストシティのエストニア・タリンは中世の風情漂う魅力的な街で、7年ぶり(だったかな?)に観光がてら出かけようかと思ったものの、今の私には5月18、19日の「東京ブルーズ-関西学生選抜」の準備がある。日本にとどまり、IIHF(国際アイスホッケー連盟)のネット中継で試合を見させていただいた。映像で見るのと、会場で実際に見る印象はイコールではないし、現地にいれば大会のオーガナイズを肌で感じ、試合中に気になった場面について選手やスタッフに尋ねることもできる。この大会、私はそういう作業をしなかったので、ここで日本の戦いぶりに言及すべきではない。現地には取材仲間であり野球やバスケットの観戦仲間、ブルーズ立ち上げの際に相談に乗っていただいたライター・関谷智紀氏が取材に行ったので、近々、詳しい話を(個人的に)聞かせてもらおうと考えている。

アイスホッケーの世界選手権(シニア)は、5月10日からスロバキアで始まる大会に世界のトップ16が出場する。ランキングとしては、トップの下にディビジョンIのグループA(6カ国)があり、その下の6カ国が同グループBにカテゴライズされ、そこで日本は戦った。その下にディビジョンⅡのA、次いでB、さらにディビジョンⅢ、Ⅲ予選と続き、単純計算で、世界における日本の現在地は25番目ということになる。

日本で、ネット中継を見ていて興味深かったのは、ファンの人たちの反応だった。あくまで私個人の印象だが、最近になってアイスホッケーを見るようになった人ほど「選手の皆さん、おつかれさまでした」「また次回、がんばって」という声が多かった気がする。実際に口に出すことはないだろうが、戦っている現場とて、与えられた環境に不足を感じていなかった人はいまい。そうした中で戦うチームにどんな言葉をかけるべきかを考え、書き込まれた「声」だったのだろう。

3月下旬、アイスホッケーではない競技の「世界選手権」を取材する機会があった。フィギュアスケートだ。古巣であるベースボール・マガジン社から『フィギュアスケート・マガジン』の制作を委託された。会場は、私の実家がある埼玉県さいたま市。大会期間中は演技を見まくり、練習を見まくった。埼玉育ちとして、草も食べまくった(冗談です)。

大会は、男子シングルはネイサン・チェン(アメリカ)、女子シングルではアリーナ・ザギトワ(ロシア)の2人の若者が頂点に立った。一方で印象に残ったのは、やはり羽生結弦であり、彼のファンの人たちだった。

さいたまスーパーアリーナは常設のスケートリンクではなく、しかも世界選手権は練習リンクを併設しないといけないため(今回は2面のリンクが地続きではなく別のフロアだった)相当の費用がかかったはずで、そのためなのか、この大会では公式練習の有料チケットが販売された。値段は3500円。競技用リンクと練習リンクでは同じ日の練習を見るのでも別のチケットが必要という仕組みだったが、それでもチケットは完売で、実際、スタンドはファンの人でにぎわった。つまり、練習中も選手は常にファンの応援を受けていたということになる。

フィギュアスケートの国際大会を会場で(特に日本で)ご覧になった人はご存知だと思うが、試合中は、どの国のどの選手が出てきても拍手に包まれ、さまざまな国旗がスタンドを彩る。演技中は手拍子、演技が終われば拍手。会心の演技内容であれば、その日初めて名前を知るような選手であっても、スタンディングオベーションで称える。演技中、たとえばジャンプで失敗して、しりもちをつく選手がいたとする。そんな時には、すかさず場内から拍手が起こる。「気を取り直して」「ここから、ここから」と励ましているのだ。

フィギュアスケート、特に男子には独特の世界観がある。試合において、自分の出番が来ればベストの演技をするために努力して、演技を終えたら、そこからはライバルの応援に回るのだ。羽生を尊敬する川原星(かわはら・せい)というスケーター(現在はプロ)がいる。2015年のグランプリシリーズ・スケートカナダに彼は羽生とともに出場し、その時のことをこう話していた。「(羽生は)全然昔と変わらなくて、おー、セイ、久しぶりだねと言ってくれました。世界のトップ選手が、僕にそんなふうに接してくれてうれしかった」「男子のフィギュアスケートは女子より競技人口が少ないので、子どものころから、どの大会に行っても顔を合わせるんです。だから余計に仲間意識が強くなるんだと思います」「自分の出番が終わったら、ほかの選手を本気で応援します。男子はみんな昔からそうでした。仲間がジャンプで成功すれば本気で喜ぶし、失敗すれば本気で悔しがる。芝居でやっているんじゃないんです」

試合が華やかである一方、フィギュアスケートの日常はとても地味で、楽ではない時間の連続だ。朝早く、あるいは夜遅くまで同じ曲を何度も何度も練習し、とんでもなくお金がかかり、それなのに試合での出番は3、4分で終わる。スケートで食べていける選手は少なく、だから将来が明るくないと判断すれば、10代半ばでリンクを去る選手も少なくない。アイスホッケーと同様、報われないことが多い競技だからこそ、スケーター同士が心でつながっているのだ。

この3月の世界選手権で、羽生は「尊敬できるスケーターと一緒に戦って、完璧な演技をした上で勝つことが一番うれしいし、一番、自分のためになる」と話した。尊敬という言葉の先にいるのは、たとえば優勝したネイサン・チェンだ。ネイサンは今季イエール大学に進学し、医学の勉強とスケートを両立させている。羽生とは以前から仲がよく、年上の羽生は何かとネイサンの世話を焼いていた。スケートの技術を磨きながら、スケートの外の世界についてもどん欲に学ぶ姿勢は2人に通底しているし、同じにおいのするスケーターであることを、おそらく互いに感じてきたのだろう。

世界選手権のフリーで、羽生は素晴らしい演技をした。足を痛めていながら、ジャンプを次々に決めた。見ていて震えるほどの演技だったが、それでもネイサンの得点を上回ることはできなかった。ネイサンはショートプログラムでトップに立ち、フリーでもさらに得点を伸ばし、合計得点の世界記録を打ち立てたのだ。演技翌日、羽生はテレビ向けの会見の席で「試合に負けてこんなにすがすがしい気持ちなのは久しぶり」と答えている。優勝できなければ当然、悔しい。それはアスリートとして当たり前の感情で、しかし仲間が素晴らしい演技をすれば、それが年下の選手であっても素直に祝福し、よし、俺も頑張ろうと思えるのが羽生結弦なのだ。

そうした彼の哲学は、ファンの行動にも反映される。羽生を応援するのはもちろんだが、ネイサンをはじめ、羽生と優勝を争う選手が演技するときも拍手で送り出し、演技後は立ち上がって迎える。ミスを祈るようなことはしない。羽生自身が、そんなことを望んでいないからだ。そしてネイサンもまた、会見の席で日本のファンへの尊敬を口にした。羽生の演技後には、ご存知の通り、くまのプーさんのぬいぐるみが大量にリンクに投げ込まれる。会見では決まって、特に海外の記者から「ユヅルの後に氷に出ていくのはやりにくくない?」「演技に支障が出ませんか」とお決まりの質問が飛び交うのだが、それをネイサンは一笑したのだ。

「ユヅルと、この日本で試合ができたことを、私はうれしく思っています。日本のファンが選手をどれほど思ってくれているか、スケートをどれだけ愛しているか、氷の上のプーがよく表していますし、私自身、あの光景を見るたびに感動しているんです。たくさんのプーは、日本のファンがいかにスケートを愛しているかの象徴であり、選手としてファンの愛情を感じながら滑るのは本当に光栄なことです。ユヅルに対する歓声の後、私への歓声は、もしかしたら彼より若干少なかったかもしれませんが、それでも素晴らしい応援をしていただいた。私はこの競技を心から愛していますし、日本のファンを愛しています」

会場には、同じ氷上スポーツということで、スケートと並行してアイスホッケーの取材をしている記者、ライターの人もいた。記者席にいる私を見つけて彼らが言ったのは「雰囲気がアイスホッケーと全然、違いますね」ということで、それは私も同感だった。お客さんの数が違うとか、報道陣の数が違うとか、そういうことではなく、会場に漂う空気の質が違っていたのだ。

フィギュアスケートの取材を通じてあらためて学んだのは、能動的な世界は、能動的な空気によってつくられるということ。逆にいうと、ネガティブな言葉は、たとえそれが正鵠を得ていたとしても、結局はネガティブな空気を濃くするだけということだ。

アイスホッケーはこれから、いろんなものが変わっていくだろうし、変えていかなかればならない。たとえば、日本製紙クレインズ改め、東北海道クレインズ。来るべきシーズンに向けてアジアリーグに加盟申請したのは、アイスホッケーファンならすでにご承知だろう。正直に告白すれば、4月20日に設定された資金集めのリミットに至るまでの、その時その時の額からみて、その後にこういう状況が待っているとは私には想像できなかった。クレインズを救うために奔走した皆さんには、本当に感謝しかない。それでも、だからといって順風満帆ではないだろうし、資金やマンパワーの悩みはチームが続く限り、ずっとつきまとっていくだろう。いったん0になったものを1にしていくのだから、スタート時点では運営面で粗が出るかもしれない。

Jリーグも、Bリーグも、競技団体とリーグが団結して、大手の代理店をパートナーにして企業を巻き込み、「失敗は許されない」という覚悟ですさまじい行動力をもって成功への道を歩んできた。今のアイスホッケーにそれを実現する体力、気運がない以上、それぞれが単体で努力をしていくしかない。

そのとき、私を含めた周りの人に求められるのは、アイスホッケーに接してきた時間の多寡ではなく、どれだけホッケー通であるかでもなく、純粋に応援する気持ちであり、他者への尊敬であり、その気持ちをいつまでも継続させることではないかと思う。競技を守り、成長させる根っこにあるのは、その競技の周りにいる人の情熱であり、人としての器だ。そして、そのカギは案外、アイスホッケーに対して新鮮な愛を持つ、この競技を知って間もない人だったり、その人たちが呼び込んでくる「これからアイスホッケーファンになる人」が握っているのではないかという気がしている。

文・写真/山口真一(アイススポーツジャパン代表)

※5月6日14時更新

「ネイサンはショートプログラムで世界記録をマークしてトップに立ち」を「ネイサンはショートプログラムでトップに立ち」に訂正します。男子シングル・ショートプログラムの世界記録は羽生結弦選手が2018ロステレコムカップで記録した110.53で、当初の記事は誤りでした。羽生選手、ファンの方にお詫びします。単純な事実誤認で、連休最後に不快な思いをされた方もいると思います。本当にごめんなさい。また1つ、ファンの人に教えていただきました。〈山口〉

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