5月の東西学生対抗2日目のエキシビションは、日興電気工業株式会社のプレゼンツマッチ。このムーブが今後、大きく広がれば、学生の受け皿となるチーム創設の機運も高まっていくはずだ。


関東・関西の学生ホッケーマンが競い合った5月18・19日の「東西学生対抗」。同大会にご協賛いただいた日興電気工業株式会社(本社・大阪市北区)の大畑篤志専務取締役は、地元・関西でアイスホッケーを始め、関東の埼玉栄高校、日本体育大学を経てECHLにトライした元プレーヤーでもある。試合当日は会場のダイドードリンコアイスアリーナに駆け付け、両チームを激励した大畑専務が、現役学生へのエールを寄せてくれた。(聞き手・構成/アイススポーツジャパン 山口真一)

——今回、ご協賛をいただくまでの経緯について教えてください。

大畑 私は関西の出身で、高校・大学は関東(埼玉栄高、日体大)でプレーし、今は大阪のアイスホッケーの普及・強化のための仕事をさせていただいています。今回、自分にゆかりのある関東・関西の若い選手が試合をするということで、アイスホッケーの恩恵を受けてきた1人として携われることはないかと思い、協賛を申し出ました。

——実際に会場で観戦されて、どんな感想をお持ちになりましたか。

大畑 今のアイスホッケー界の状況、主要都市にトップリーグがないこともありますし、条件的なもの含め、学生のトップ選手が必ずしも上を目指していないことは理解しています。そのぶん大学リーグが、今の選手の最終ステージになっているのかなと。競技としてのアイスホッケー、青春のピリオドが大学なんだと感じました。大学までずっと頑張ってきて、しかし卒業後の受け皿がない。ずっとアイスホッケーをやってきた者としては、やはり歯がゆいですね。試合の内容でいうと、やはり関東は技術があり、でも、ガツガツ頑張っていたのは関西かなという印象です。

——大畑専務ご自身は、どのようなアイスホッケー人生を歩んでこられたのでしょう。

大畑 本社のある大阪の南森町(みなみもりまち)は私の故郷で、「梅田メープルリーフス」というジュニアチームで小学1年生から始めました。母親の親友の子どもがホッケーをやっていて、「僕もやりたい」と思ったのがスタートです。ポジションはFWでしたが、中学まではDFも兼ねていて、試合ではほぼ出ずっぱり。今はなくなりましたが、桜ノ宮スケートリンクで練習をしていました。

——高校は強豪・埼玉栄高校。大阪から門をたたくのは勇気が要ったと思います。

大畑 最初は駒大苫小牧高に行きたいと思っていたんですが、メンバーがそろっていたので入れなかったんですよ。ちょうど齊藤哲也君(バックス)や百目木政人君(王子)と同じ学年で、ゴールデンエイジと呼ばれていた世代。「駒澤に勝てるところに行きたい」と思い直し、埼玉栄高校の格地先生(監督)に自分から電話したんです。

——大畑専務が中学3年のときにバンタム合宿が軽井沢であって、大阪からは1人だけ選ばれていましたね。確かそのときに取材をした記憶がありますが、埼玉栄も相当に選手層が厚いので、しんどいことは少なくなかったと思います。

大畑 高校に入って最初の1年間は、つらかった思い出しかありません。同期と何度、「逃げよう」と話したことか(笑)。でも、その1年目のインターハイで、3年生にベスト4まで連れて行ってもらえた。つらいことも、そのぶんうれしいこともあった、濃密な3年間でした。

——大学は、同じく関東の日体大。ここを進学先に選んだ理由は。

大畑 自分では高校で燃え尽きた感じだったので、当初は大学に進むつもりはなかったんです。日体からは熱心に誘っていただいて、一度は「大学に行くつもりはありません」と断ったんですよ。そんな時に母親から、「大学に入って友達をつくりなさい」と言われたんです。「たくさん友達をつくれば、それが自分の財産になるから」と。それで日体にお世話になることを決めました。実際に入ってみると、母親の言っていた通りでしたね。日体は全国のスポーツマンが集まる大学です。アイスホッケー以外にも、アメフト部や、たくさんの人と知り合えた。いろんなヤツといろんな話をして、「ああ、みんな同じなんやな」って。私が入学した当時、日体大はまだ4部リーグとか3部にいる時代でしたが、大学に進んで本当によかったと思いました。

——日体大を卒業後、海外のプロリーグにチャレンジされました。

大畑 埼玉栄高校の同期でもある小林弘典(元アイスバックスFW、現在は北海道栄高校監督)と一緒に、北米でプロになることを目指していたんです。最初は2人一緒に挑戦しに行って、でも小林はバックスのトライアウトに受かってアジアリーグに行くことになり、そこからは1人でのチャレンジです。ECHL(イーストコースト・ホッケーリーグ)のビクトリア・サーモンキングス(現在は消滅)から誘ってもらったんですが、シーズン前にヒザの十字靭帯を切って、試合に出ることはできませんでした。出場記録はありませんが、どこかに名前くらいは残っているんじゃないかなあ。ケガをしたのが24歳の冬。弊社の大畑幸信会長から、25歳まで挑戦してダメなら腹を決めろと言われていたので、「今がそのときかな」と。そこでプロへの挑戦に一区切りつけて、入社して5年間は現場仕事をさせてもらいました。

——今は「難波ジョーカーズ」の一員として、関西社会人のトップカテゴリーでプレーしながら、「バンディ」の日本代表としても活躍されています。仕事とアイスホッケーのバランスについて、どのように考えていますか。

大畑 私自身、やはりアイスホッケーが大好きですし、アイスホッケーを通じて「人とつながる」ことが好きです。要は、アイスホッケーをやっている人が好きなんでしょうね。だから社会人になって忙しくて…という人にも「それでもアイスホッケーをやろう」と言い続けています。時間がないといっても、練習はたかだが1時間半です。汗をかいて、脳も体もリフレッシュして、仲間とつながりを持つ。ホッケーマン同士、ホッケーでつながるからいいんじゃないですか。

——そうした「人とのつながり」のほかに、大畑専務ご自身がアイスホッケーから学んだものは何でしたか。

大畑 一番は「チームスポーツ」であるということです。個人のスキルアップがチームに良い影響を与え、弱い人間がいれば周りが助けてあげられる。それがチームワークです。それと、自信ですね。自分の人生にとって、高校の3年間以上にキツかったことはないんです。「あのときも乗り越えてきたやん」「だから、どこででもやっていける」という自信です。何があっても「これがオレの人生や」と構えていられるし、自分の中にネガティブな発想がない。周りから見ればマイナスの状態であっても、「今が百点満点や」と胸を張って言えるんです。あの3年間を耐えられたんだから、オレは絶対に乗り越えられる。そういう自信しかありません。

——日興電気工業株式会社は来年、創立70周年を迎えます。近年は採用にも積極的とうかがいました。

大畑 電気工事の仕事には専門の勉強が必要になりますが、だれでも最初からはできないものです。だからこそ社員の教育に力を入れているつもりですし、社内の雰囲気は和気あいあい、仲良くやっています。大切なのは、人とのコミュニケーション。「どうすればいいですか」「教えてください」と素直に人に聞けるかどうか、それができれば大丈夫です。未経験の分野で不安に思う人もいるかもしれませんが、一度、話を聞きに来ていただければと思いますし、もしホッケーをしている学生が会社を訪ねてくれたら、きっと熱い話ができると思います。

アイスホッケーよりも広大なフィールドで争う「バンディ」の日本代表にも名を連ねる大畑専務。普段は関西社会人リーグでプレーする傍ら、地元のアイスホッケー発展のために精力的に活動している。


日興電気工業株式会社

設立:1950(昭和25)年4月1日

本社所在地:大阪市北区天神西町3番18号

資本金:32.000.000(2019年4月1日現在)

従業員数:32名(役員5名含む。2019年4月1日現在)

事業内容:電気工事(電気・消防・通信)

・ゼネコン、各種企業、個人様からのご発注の新築・改修・改善。

・大手住宅(ビル・マンション・アパート・工場・病院・サービス高齢者住宅等)メーカーご発注の新築・改修・改善。

・公営住宅・宿舎・マンション・賃貸住宅等の補修。

・ビルオーナー・マンション管理組合・管理会社ご発注のリフォーム等。

日興電気工業株式会社 公式サイト

http://nikkoelc.co.jp/

会社という「チーム」をけん引している大畑秀樹社長。社風はアットホームで和やかな雰囲気だ。

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