帯広で2年ぶりに行われた全国高校アイスホッケー選手権、「インターハイ」が1月26日に閉幕。地元も地元、アリーナから歩いて3分くらいの場所にある白樺学園が、2年前に続いて6回目の優勝を果たした。

駒大苫小牧との決勝は3-0の完勝だった。12月の全道大会で、白樺は準決勝で武修館に敗れ、優勝したのは駒澤。駒澤は8月の全国選抜大会ではベスト4にも残れず白鳥アリーナのファンをがっかりさせたが、世界で一番といわれる練習量で、しっかりインターハイにピークをもってきた。スケーティングは理想的な前傾姿勢。味方がパックを奪うと、あっと言う間にゴール前に向かって加速していく姿は、フォームだけで駒澤とわかる。でも、その駒澤のFWを白樺は自由にさせなかった。白樺はゴール前のバトルでしっかり駒澤に勝っていた。

白樺の3得点はすべてシュートリバウンド。2年前の小林斗威キャプテン(王子)をはじめ、1コ下の中條廉(明治)、宮田大輔(東洋)のようなFWの大砲がいない今季を象徴する泥くさいゴールだった。「2年前の決勝戦の前、楽しんでいこうぜと斗威さんが言ったんです。僕も今日、同じ言葉を言いました」と佐藤尚輝キャプテン(DF・3年)。「今季の高校アイスホッケーは、特別に強いチームはなかったと思います。ここまで来たら、勝ちたい気持ちの強いほうが勝つ。チームのために戦う気持ちが一番強かったのが、白樺だったんだと思います」。スタンドは満員、センバツ出場を決めた野球部ら同級生が見守る中での優勝だ。こんなシチュエーション、なかなかない。いいなあ。最高だ。

3ピリ、スタンドからのカウントダウンがゼロになった瞬間、白樺の2年生、小見山我玖は大泣きしていた。白樺のコミヤマ? そうか、同志社のDF・凱亥(かい)の弟なんだ。岡山のジュニアチーム出身で、白樺では第5セットのFW。インターハイ直前まで登録メンバーに選ばれるかどうかギリギリで、しかしベンチ入りはできなかった。「試合には出られなくなったけど、お世話になった3年生のために何かで役に立ちたくて」

買って出たのは、ベンチ裏の声出し係。スティックではなく、赤いメガホンを持って「さあ、ここチャンス! 決めていこう!」「(PK)あと1分! 集中、しゅーちゅー!」。大声を出しながら、ベンチ裏を何往復しただろう。優勝が決まると、「泣かないって決めてた」はずが、涙があふれ出て止まらなくなった。「つらかった陸トレを3年生と一緒にやったことを思い出して。3年生の前で涙は見せたくなかったんですが」。校歌を歌い、監督の湊谷匡晃先生を胴上げし、仲間と記念撮影をするころは笑顔が戻った。「今年の3年生は主力ばかりで、その人たちが抜ける。次は自分が試合に出て、インターハイ2連覇を目指します」。勝って泣いて、勝って笑って。日本一の特権だ。いいなあ。

駒大苫小牧の三浦稜介キャプテン(FW・3年)は、試合終了とともに泣き、準優勝の賞状をもらってさらに泣いた。銀メダルを胸にかけてもらう瞬間、役員の先生から「おめでとう」と言われたが、駒澤の目標は常に高校日本一だ。3年生の冬、自分がキャプテンの時にチームを優勝させられなかった。オレは、オレたちは、銀メダルをもらうためにホッケーをやってきたんじゃない――涙が止まらないのも無理はなかった。どれだけ泣いても、この結果を変えることはできないけれど、次にやって来る舞台で勝利をつかむことはできる。駒澤の3年生がこの次の勝利を得て、その源泉をひもといた時に、きっとこの「2020年1月26日」があるんだろう。

仮にこの帯広インターハイにMVP表彰があったとしたら、間違いなく白樺のゴーリー・佐藤永基(3年)だった。公式記録を見ると、白樺が3ピリオド合計で20本のシュートを放ったのに対し、駒澤のシュート数は55本。しかし、シュートを打てば打つほど駒澤は追い込まれていった。遠目からのシュートは完璧にさばかれ、GK、DFが一体になってリバウンドを打たせない。駒澤の攻撃の特色は、速くて激しいショット&ラッシュだが、逆に言うと、二の矢、三の矢が封じられた時は苦しい。佐藤自身は「3ピリの残り10分で優勝を意識した」というが、2ピリ11分に白樺が3点目を奪った瞬間、勝利は99パーセント確定した。この日の佐藤の出来からして、駒澤が4点を取ることは不可能に近かった。

「優勝、しかもゼロ(無失点)で終われたのがうれしいです」と佐藤。高校1年以来、日本代表に選ばれてきたが、なんでアイツが代表なの? そんな声は当然、佐藤の耳にも入ってきた。「でも、それはしょうがないことだと思ってます。僕だって、同じ学年の人が代表に選ばれていたら、なんでだよって思うと思いますから。自分にできることは、結果を出すこと。だから、高校最後にこうやって優勝できたことがうれしいんです」

2年前の優勝の時は、先輩の石田龍之進(関大)がマスクをかぶり、昨年の八戸インターハイは決勝で駒澤に負けた。そんな中、日本代表に呼ばれたことは名誉である反面、けっして楽なことではなかった。「はい。でも、代表に選んでいただいたから、僕は精神的に強くなれたんだと思います」

白樺との準決勝、1-5で敗れた埼玉栄は、今季の高校アイスホッケーに新鮮な驚きをもたらした。1年生FW・井口藍仁のハンドリングとスケートの緩急は、まるでヒーローものの映画を見るようで、帯広でも井口目当ての観客がリンクを埋めた。準々決勝は、夏の全国選抜に続いて武修館を3-2で返り討ち。井口も観客を夢中にさせたが、それ以上の驚きは、井口に触発されてチーム全体がレベルアップしていたことだ。

埼玉栄は、インターハイ前の苫小牧合宿で1つ目のセンター・伊藤総(3年)がケガを負い、帯広では、本来はDFの漆畑慶(3年)がセンターに入った。その漆畑が、武修館戦の開始5秒で先制ゴールを決める。漆畑は埼玉栄の特進クラス「アルファクラス」で、その中でも成績はトップ。センター試験を受けたため苫小牧合宿には参加せず、受験を終えてそのまま帯広入りした。「勉強もホッケーもめいっぱいやりたくて、栄高校に入りました。高校受験は推薦で楽をしたので、大学受験は本気で挑戦したかったんです」。部活動で日本一を目指しながら、夜遅くまで机に向かう毎日。「本当に、本当に充実した3年間だったと思います」。将来の夢はエンジニア。こんな素材がアイスホッケーから出てきたことが、うれしいな。

埼玉栄にアイスホッケー部ができたのは、ちょっとした運命のいたずらだ。埼玉栄の格地現監督は東海大を卒業後、本来であれば大学の先輩である吉澤忠監督のもと、水戸短大付属高校でコーチをするはずだった。それが学校の採用枠の関係でかなわず、格地監督は埼玉栄高校で教員に。1988年、ゼロから同好会をつくって今日に至っている。兄弟分の吉澤監督の水戸短大付と格地監督の埼玉栄は、だからずっとライバル関係で、いま30歳代以上の両校のOBにとっては「一番負けたくない相手」が水戸であり、埼玉だった。その熱が、日光とともに関東のアイスホッケーを支えてきた。

水戸短大付は2012年、現在の水戸啓明に校名が変わり、吉澤監督が引き続きアイスホッケー部を率いてきた。この3月に吉澤監督が退職されるため、この帯広が指導者として最後のインターハイになる。水戸の代名詞は、ロシアを手本にした組織力とパスのホッケー。しかし昨年8月の全国選抜では、ダンプする場面も多かった。「吉澤先生も最後だし、なりふり構わず勝ちに行くんだ」とみる人もいたが、このインターハイでは、きっちりエントリーしてパスをつなぐ、水戸らしいホッケーをしていた。

2回戦、日光明峰に開始直後に先制されながら、5-1で逆転勝ち。駒澤との準々決勝は0-6の完敗だった。それでもタイムアップの瞬間まで、リグループして相手を崩す水戸のホッケーを貫いた。吉澤監督は「最後の相手が駒澤でよかったです。力の差があっても、駒澤はいつも本気で来てくれる」。試合後は、ずっと笑顔だった。

そういえば伝説の郡山インターハイ(1993年)でも、水戸は駒澤と準々決勝で当たった。その時も、FWに鈴木貴人(現東洋大監督)、小友坊、DFに大久保智仁(現フリーブレイズ・コーチ)らがいた駒澤が、内山正浩(のちコクド)らの水戸に勝ったのだが、雪吹きすさぶ開成山球場(※野球のグラウンドにリンクを2面作って、観客は雪の中、スタンドの石段で震えながら見ていたのです)で、水戸は駒澤に食い下がった。

監督として最後の試合を終えた吉澤監督は、まず駒澤の鈴木司監督と抱き合い、格地監督と握手した。退職後は水戸市内で喫茶店を開き、茨城の小中学生を教えていくという。「埼玉が地元の子どもを育ててきたんだから、茨城だってできると思うんだよね」。高校の現場を退いても、アイスホッケーからは離れない。水戸と埼玉は、永遠のライバルだからだ。

帯広の森を沸かせた関東のチームが、もう1校。インターハイの初代王者、名門中の名門・ヒガシを神奈川の慶應義塾が追い込んだのだ。2ピリの17分まで、慶應が4-2で苫小牧東をリード。ところが2ピリ18分に1点差に詰め寄られ、3ピリ15分、4-4に追いつかれた。延長は3人対3人のサドンデス。2分51秒、Dゾーンでのカバーをはがされて5点目を決められた。

慶應の赤坂隆之監督は「5人対5人より、3人対3人のほうがウチにはチャンスがあると思っていました。そのための練習もしてきたんですが」。僅差のリードを保って60分を終える。もしくは延長かGWSで勝つ。慶應のゲームプラン通りといえばそうだったが、2ピリを2点リードで終えられなかったのと、試合の残り5分を切って同点に追いつかれたのは、想像していた以上に大きなダメージになった。

2年前の帯広インターハイ、清水との準々決勝。慶應はその試合でも、3ピリで4-4に追いつかれ、GWSで敗れた。あの日も会場は第二リンク。平日なのにびっしり入った観客の多くは、地元の清水を差し置いて、いつの間にか慶應を応援していた。高校からホッケーを始めた選手が、経験者を見て、学んで、ここまでのチームになる。

ヒガシに逆転負けしたことを受け入れられず、慶應の選手はリンクからなかなか上がれなかったが、「善戦」が「勝利」に変わる日も遠くないはずだ。「埼玉栄さんとは、月に1回、練習試合をしていただいているんです」と赤坂監督。関東は、日光、水戸、埼玉だけじゃない。もうすぐ、神奈川だって。

インターハイの優勝校は白樺で、運営を支えていたのも白樺だった。氷のそばで、氷とは離れた場所で、白樺学園高校の教職員の方、生徒が大会を支えていた。リンクでは白樺が試合をしている。当然、見たいし、応援もしたい。でも、そこをじっとこらえて、資料を配ったり、大会関係者や報道陣のリクエストに応じたり。そういう人がいてくれて、初めて大会は目に見える形で動き出す。

そんな中、うれしかったことが。インターハイは通常、平日開催が多いのだが、今回は大会のクライマックスが週末ということもあり、土曜日の準々決勝以降、多くの観客がリンクを訪れた。決勝は午前10時スタート。にもかかわらず、スタンドは超満員だった。

12月の釧路インカレもそうだったが、「レベルが高ければ高いほど人が来る」のではなく、「応援したい選手がそこにいれば人が来る」ことをあらためて感じた。子どものころから知っているアイツが、仲のいいあの人が、いつも元気にあいさつしてくれるあの子が、ホッケーの試合に出る。だからみんなで見に行こう、応援しよう。そこに、技術レベルがどうだとか、まして日本が国際舞台でどうであるかなんて、まったく関係がない。

釧路も、帯広も、子どもの数が少なく、ホッケーをしている子はなお少ない。それでも、帯広の森のスタンドには友達同士、あるいは親に連れられた子どもたちがいた。彼らの目に高校プレーヤーの姿がまぶしく映り、アイスホッケーをずっとずっと好きでいてくれたら、いいなあ。

(アイススポーツジャパン代表 山口真一)

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