正直にいえば、一瞬、「どうしようかなあ」と思ったのだ。

仕事が思い通りに進まず徹夜が続き、予定していた朝の飛行機に乗り遅れてしまった。年末、帰省シーズンだ。釧路への当日売り航空券が片道5万もするのを初めて知った。しかも、昼間の便は軒並み満席。「ネット配信もあるみたいだし、今年は行かなくていいか」。そんな気持ちが頭をよぎる。

でも、やっぱり行かないわけにはいかなかった。ほとんどの4年生にとって、このインカレがコンペティションとして取り組む最後のホッケー。長い選手は小学生から、中学、高校と見てきて、取材もさせてもらってきた。

よし、やっぱり行こう。会場まで行って見届けよう。その日は本当に疲れていて、家に帰る体力も、翌朝、時間までにチェックインする自信もなかったので、生まれて初めて空港で夜明かしした。おかげでぎっくり腰になってしまったが、そうやってたどり着いた釧路で、たくさんの顔に会えた。インカレを現場で見るようになって30年。会場に行って後悔したことは一度もない。それはたぶん、大学生がきちんと「今」を生きているからだろう。


釧路に着いて最初に撮ったのは、日大4年生の集合写真だった。「次のマガジンで表紙をお願いします!」。うっ、すまんが、それは約束できない。でも、みんながいい顔をしてこの試合を終えたことは、ずっと覚えておくよ。

日大は準々決勝で明治に0-4で敗れ、今シーズンを終えた。でも、連盟の副理事長でもある藤本拓輝君(4年・FW)は釧路に残るという。「東京に帰るのは1月8日です。年明けにフィギュアの試合があるんですよ」。運営の学生委員、そしてネット中継を担当した関大のみんな、本当におつかれさま。現場で汗を流す人がいて、物事は初めて動き出す。何はさておき、そのことに感謝だ。

「山口さんは、どう思いますか」。学生委員の1人に尋ねられた。

どこかのサイト? ツイッター? 詳細はわからないが、インカレの大会フォーマットは、このまま一発勝負のトーナメントでいいのかと話題になったらしい。現状、大学アイスホッケーは地域間で差があるから、1回戦で2030点差がつく試合は珍しくない。だから、レベルごとにカテゴライズされるべきじゃないかということだ。

確かに、点差がつく試合は一見、意味がないように思えるけれど、そう言いきれない部分もある。地方の大学にとっては、東京の名門校と戦ってボコボコにされることも、ホッケー人生の強烈な思い出になるからだ。実際、関東のインカレ予選でも、駒澤や上智の選手は「勝ったら関大とやれる」と意気込んでいた。僕も元選手としてその気持ちがわかるから、「大差の試合に意味はない」と言う気にはなれない。

でも、勝つほうのチームには得るものがないでしょ。そんな意見もあるだろう。正論! でも、今年のインカレでもこういうことがあった。1回戦、中央は名古屋大に32-0で勝った。見る人にどう映ったかはわからないが、中央の阿部翼キャプテン(4年)は感激していた。

「僕は試合に出なかったんですが、試合後、名古屋大学の人があいさつに来てくれました。中央が最後まで本気で来てくれてうれしかった、と。そう言って泣いてくれて、僕もうれしかったし、名古屋大学のぶんも優勝したいと思いました」

「上位校との試合を経験する喜び」を維持しつつ「同レベルのチームと勝負をする」ことを両立させる。出場校の費用対効果、エネルギー対効果を高めるなら、少し前までの関東大学選手権のように、敗者は敗者同士が戦って全順位をつけるのがベストだと思う。準々決勝で負けた4校は5~8位までを決めるために戦い、1回戦や2回戦で負けた大学も、負けた同士で少しでも上の順位を目指して戦う。ただ、そうなると今の2倍、リンクの貸し切り時間とマンパワーが必要になる。だいたいが、こうやって意見を言うだけなら簡単なのだ。実際に行動に移して、成功させるのは本当に難しい。


その名古屋大戦で、中央のFW成田啓祐(4年)は4ゴールを挙げた。これまでの公式戦では、ベンチに入ったり、入れなかったり。現状のフォーマットが上位の大学にとっても意味があるのは、普段は4つ目とか、あまり試合に出ていない選手にも全国大会でプレーの機会を与えられるからでもある。

名古屋大戦は成田君の引退試合になった。翌日の朝、足を痛めてしまい、2回戦から裏方に回ることになったのだ。「でも、必ず優勝してくれるとみんなを信じています。僕は、できることをやるだけです」。そうだ。スケートを履いてなくたって、仲間と一緒に戦うことはできる。

しかし、中央は準決勝で東洋に1-3で敗れ、3位決定戦でも明治に勝てなかった。3決の後、成田君はミーティングで「4年目で優勝すれば苦労はすべて報われる。だから、悔いのない毎日を送ってほしい」と後輩たちに言ったそうだ。卒業後は、第1志望の航空系の企業を目指して就職浪人する。仲間を陰で支えられる君は、きっと素晴らしい航空マンになれるはずだ。だいたい、苗字が「成田」なんだから。

中央の準々決勝の相手は関西大で、キャプテンは地元・釧路のFW三浦詰平(4年)だった。来年からは関大のコーチ。インカレで負けた時点で、本格的な競技生活とはお別れになる。第3ピリオド、三浦が中央のゴール裏でハードヒットを食らって横たわるシーンがあった。

「がんばれー、キッペイ!」「キッペイ、ガンバだー!」

中央のベンチから声が飛んだ。同じ4年生、FW齊藤大知とDF植森脩太郎。2人とも高校は三浦と同じじゃないのに、いいとこあるじゃないか。2019年はラグビーの年だったが、アイスホッケーも負けてない。なにしろ、試合中からノーサイドなんだから。それにしても、声を挙げたのが中央のヤンチャ坊主2人だったとは。アイスホッケーは、競技環境もプレーも厳しい。でも、だからこそわかり合えることもあるんだな。

その試合、関大のベンチには鈴木宣夫監督がいて、中央のベンチには矢島敏幸コーチがいた。王子製紙の黄金時代を支えた、センターとウイング。日本リーグが普通にテレビで流れていた時代だから、2人は全国にファンがいた。ともに釧路出身で「コウギョウ(釧路工業高校)」のOB。だから三浦君の先輩にあたる。

矢島コーチの息子・中央のFW翔吾(2年)は鈴木監督を見て憧れ、高校までセンターをやってきた。鈴木監督は、「あんな小さかった子が、今は大学生になって相手チームにいる。ちょっと不思議な感じがします」。試合前には、矢島コーチと1分ほど、軽めの情報交換をするシーンもあった。

同じ1964年生まれで、王子と日本代表で活躍した永遠のライバル。でも、矢島コーチはこう言った。「僕、ノリオをライバルだと思ったことは一度もないんです。なんであんなにうまいのかなあって、ずっと憧れの目で見てました」。尊敬の気持ちが互いにあったから、2人はずっと仲間だったし、ライバルだった。そして、それはきっと今でも変わらない。

中央と関大が戦っていたころ、バックヤードでは早稲田の選手が泣いていた。

キャプテンのFW青木孝史朗(4年)は1ピリ早々、左足の靭帯を痛めて退場。いったん病院に運ばれ、リンクに戻ってきたころにチームは負けていた。病院に行く車の中で、青木はネットの試合中継を見ていた。それで早稲田の4年間が終わってしまった。

一時期、トップリーグのチームから熱心に誘われていたが、4年の春、さらに2年前と、左右の靭帯を痛めたことで陸トレが積めていなかったため、自ら断りの返事をした。

4月から一般就職。だからこそ、このインカレにかけていた。「すみません」「本当にすみませんでした」。松葉杖でアリーナに戻ってきた青木を見て、後輩がたまらず涙をこぼした。「これからはおまえらが頑張るんだよ」。後輩の前で、キャプテンは最後まで気丈だった。そうやって笑顔で励ますことが、彼にできる精いっぱいの仕事だった。

 

試合を終えた後、早稲田で一番泣いていたのはGK谷口嘉鷹(4年)だった。2-3と追い上げた3ピリ18分、ベンチに上がりかけたところで味方がOゾーンでパックを奪われ、急いでゴール前まで戻ろうとしたものの、間に合わずにエンプティを許した。試合が終わった瞬間、責任をすべて背負い込んだような顔をしていたが、涙を出し切った後はすがすがしかった。「ホッケー人生の中で、本気でやる最後の試合でしたが、今までで一番いい試合ができました。途中で孝史朗が抜けて、でも、それで一段とチームがまとまった。そこは早稲田らしかったと思います」

卒業後は大手のインテリア会社に就職する。「ホッケーを通して学んだのは、助け合うことです。キーパーは、自分でゴールを決めることはできません。仲間の助けがあって、初めて勝つことができる。それは社会に出ても同じことだと思います」。カヨウ、君はきっと、お値段以上の会社員になれるよ。

谷口が言ったように、GKは自分でゴールを決めることはできず、失点の時だけやけにクローズアップされる、割に合わないポジションだ。しかもGKでキャプテンとなれば、その責任の大きさたるやどれほどのものか。磯部裕次郎(4年)はGKとして、キャプテンとして、明治のインカレ4連覇に挑んだ。

準決勝の法政戦。明治は1ピリ5分に先制しながら、7分から13分の間に4連続失点し、その後も主導権を握れないまま終了のブザーを聞いた。磯部は3点目を失った後、12分に交代を告げられ、ベンチに下がった。

「悔しいっていうか、終わっちゃったんだな、と。合宿からコンディションもよかったし、全日本(選手権)でフリーブレイズからいい刺激をもらって、負けるイメージはありませんでした。今日の試合は、僕の3失点がすべて。自分が出て勝てればそれが一番よかったですが、交代してからも、チームが勝ってくれればいいと思っていました。負けたのは全部、僕のせいです」。試合後は涙が止まらず、控え室から出てこられなかった。

磯部に涙を流させたのは、法政。キャプテンのFW小西遼(4年)と明治の磯部は武修館高の同級生で、3年前の盛岡インターハイの優勝メンバーだ。「気持ちで劣っていなければ、(明治に)勝てると思ってました。ここまできたら、技術じゃない」と小西。磯部とは仲がよく、だからこそ妥協はしたくなかった。「(磯部を)1ピリから降ろしてやる。強い気持ちでいきました」

明治に勝っても笑わなかった小西は、決勝で東洋に敗れても泣かなかった。「チームを勝たせることができなかった。そのことが悔しいです」。得点を入れるより、チームで勝つことがアイスホッケーをやっている一番の喜び。小西はかつて、そう言っていたことがある。14大会ぶりの決勝進出で周囲は沸いたが、小西にとっては「優勝できなかった」大会だ。最後の最後まで、チームを第一に考えるキャプテンだった。


磯部、小西と同じく、3年前に武修館高で高校日本一に輝いたのが、中央の阿部だ。生まれ持ってのリーダーシップで、どの年代でもCマークをつけてきた。このインカレは準決勝で東洋に敗れ、大学4年目を無冠で終えた。その東洋戦、試合を終えると泣き崩れる後輩たちの頭をさすりながら、阿部自身は笑っていた。控え室から出てきても、笑顔を浮かべて、さっとリンクから去って行った。

「みんなの前ではずっと我慢してたんですけど、車で帰る時、リク(FW徳光陸・3年)から、ごめんと言われてギャン泣きです。後輩に謝られるほど、つらいことはないですから。優勝という結果をみんなに残してあげられなかった。自分は、最低のキャプテンだと思いました」

インカレ最終日。阿部は、磯部の明治と3位決定戦でぶつかった。「中央にとって、一番意識する相手は明治です。だから、4年間の最後に明治とやれて幸せでした」。1-3で敗れはしたが、阿部は笑っていた。前日のような、無理やりつくった笑いではない。すべてを出し尽くした人だけができる、さわやかな表情をしていた。

「今日、3決の前に後輩たちが不安そうな顔をしていたので、言ったんです。一生懸命やってきたから、試合への思い入れが強いから、不安になる。だから安心して不安になれ、と」。負けて泣くのも、試合前に不安を覚えるのも、普段から一生懸命やってきた証拠だ。最後の試合を終えてリンクから去る時、阿部は意外な言葉を口にした。「負けたらどうしよう。そんな恐怖感がずっと頭から離れませんでした。これまで積み重ねてきたものが、負けたら一瞬でゼロになる。そう思うと、怖かったんです。インカレは、毎日、毎日が怖かった」

 

4月の秩父宮杯、関東大学選手権で優勝へのカウントダウンが始まった時、東洋のGK水田勇輝(4年)は「頭が真っ白になって、なんにも考えられなかった」という。インカレ決勝、6-3のスコアでスタンドから秒読みが始まった時は「親の顔が思い浮かびました」。優勝を決めると、お母さんと一緒に円陣を組んで校歌を歌った。「(4位に終わった)秋リーグは、正直ナメてたと思います。フツーにやったら勝てるだろうと。僕自身、監督の信頼を失うようなことをしてしまって、でも、もう一度信頼してもらえて勝つことができた。すごくいいチームになれたと思います」

東洋での過去3シーズン、そして駒大苫小牧高の3年時も、全国優勝とは無縁。昨シーズンまでは、1学年上の古川駿(フリーブレイズ)のバックアップに回ることも多かった。「自分は、勝てないキーパーなのか。そう思ったこともありました。でも、今日、駿さんを超えられたと思います。駿さんがなれなかったインカレ優勝キーパーになれたんですから」

選手が氷の上で水を掛け合い、ひっくりかえって喜んでいるそばで、東洋のマネジャー・山勢結香さん(1年)は片付けに忙しかった。高校まではフィギュアスケーター。ホッケーのマネジャーになったのは6月なので、夏の合宿で初めて、氷の上でプレーする選手たちを見た。東洋のマネジャーは、山勢さん1人だけ。教えてくれる先輩マネジャーがいないから大変なはずなのに、不安そうな顔も見せず、いつも動き回っている。裏方の仕事と、試合中は写真撮影。準決勝の後には「精いっぱいのサポートをして必ず選手を勝たせます」と、真剣な顔で言っていた。

「インカレで早稲田、中央に勝って、1試合ごとにチームの団結が強くなっていった。優勝にふさわしいチームだと思いました。私の自慢の選手たちです」。男子、三日会わざればの格言は、女子だって同じだ。山勢さんも、宮田大輔(1年・FW)と並ぶ東洋の新人賞だった。


インカレは東洋の優勝で幕を閉じ、敗者はどこにも存在しなかった。この国でアイスホッケーを続けるのは、やさしいことじゃない。小さいころから22歳になるまで続けるのにも、未経験から大学4年間で上達することにも、いずれも高い壁がある。それを乗り越えた選手は、みな勝利者だ。

言葉だけの理想。行動の伴わない妄想。そんなものとは対照的な、リアルな世界を大学ホッケーマンは生きている。夢と現実。友情と競争。「きれいごと」と「きれいごとじゃない世界」の2つの間を、時に傷つきながら、それでも目を背けないで進んでいる。だから彼らの喜怒哀楽にはウソがなく、同じ苦悩を超えた者同士の友情がめばえる。

インカレ、おつかれ。4年生の皆さんは、特におつかれさまでした。就職する人は新しい世界で、大学に残る人は勉強を念入りに、ホッケーマンの誇りをもって取り組もう。

そして最後に。みんな、アイスホッケーを選んでくれてありがとうね。

(アイススポーツジャパン代表 山口真一)

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