今季のアジアリーグは、セミファイナル終了とともにプレーオフが打ち切られ、その時点で勝ち残っていたレギュラーリーグ1位のサハリン、同2位のアニャンハルラがともに「優勝」となった。今回は、2シーズンぶりの優勝を果たしたハルラのキャプテン、FWチョ・ミンホ選手のインタビュー。もともとファイナルに合わせて紹介する予定だったが、突然のシーズン閉幕によりタイミングを失い、かといってボツにするのもどうかということで、この時期の掲載になってしまった。速い展開の中で、常に冷静に「今」と「次」に何が必要かを判断し、チームを勝ちに導くプレーを続けるミンホ選手。通訳はハルラのマネジャー、ウォン・ヨンハ氏が担当、ヨンハMGと筆者は英語でやりとりし、ミンホ選手とヨンハMGが韓国語で会話する方法を採用した。〈取材・構成/山口真一〉

 

ミンホ お待たせしてしまってすみません! ちょっとミーティングが長くなってしまって…。

——いえ、まったく問題ありません。では、始めましょう。よろしくお願いします。今季のハルラは先シーズンに比べると戦力的に落ちるといわれながら、レギュラーリーグでは2位でした。まずは今季のチームの戦い、そしてミンホ選手自身のプレーについての感想を。

ミンホ ハルラチームとしては、シーズンを通じて素晴らしいモメンタム(勢い)であったと思っています。私自身のプレーに対してもベリー・サティスファイド(とても満足している状態)でしたね(レギュラーリーグ36試合で8ゴール27アシスト)。これまでのシーズンはどうしても小さなケガがあったのですが、今シーズンはそれがなかった。それも満足している理由です。

——ハルラと日本のチームが対戦した時に、たとえば1月のクレインズ戦がそうでしたが、ショット・オン・ゴールで相手が上回っている試合でも、結果としてハルラが勝利しています。得点機をつくるために相手の陣形を崩す戦術、さらには勝敗のアヤとなる場面、時間帯での強さが、現段階では韓国のチームのほうが上に見えるのですが、実際にプレーしていてどのように感じますか。

ミンホ う~ん…それに関しては私の口からどう答えていいのか、ちょっと迷うところです(苦笑)。ただ、ご存じのようにアニャンのホームリンクではファンの大きな声援が私たちを後押ししてくれていて、それがアドバンテージになっています。ビッグチャンスの時に、スタンドから大歓声が起こる。それが選手にモチベーションと高い集中力を与えてくれているんです。

——ミンホ選手自身のストロングポイントは、どういうところだと思っていますか。

ミンホ チーム・ファーストに徹して、周りの選手を助けるプレーが自分の長所だと思っています。センターフォワードとして、スコアリングのためにビッグチャンスをつくり、ほかの選手がゴールするための状況をつくること、でしょうか。そういうプレーをすることが、ホッケーをプレーする上での私自身の楽しみでもあります。

——パワープレー時のオーバーロード、相手ゴーリーの視界から一度消えて再びゴール前に出現するタイミング、さらには相手選手をかわす際のチェンジ・オブ・ペース。トップリーグの中でも、誰もができるわけではない技術を持っているように感じます。

ミンホ そうですね。確かにそういうプレーは自分でも好きですね。

——そうした技術はどこで培われたのでしょう。アイスホッケーを始めたのは…。

ミンホ 10歳でした。いとこがプレーしていて、彼の試合を見たのがきっかけで小学校のアイスホッケー部に入ったんです。

——失礼な言い方になってしまいますが、韓国では、サッカー、野球、バスケットに比べてアイスホッケーは人気スポーツとはいえません。ミンホ選手のセンスがあれば、他の競技でもエリートプレーヤーになることができたと思いますが、それでもアイスホッケーをチョイスした理由は。

ミンホ やはり、いとこの存在が大きかったですね。他の競技を知るよりも前に、いとこがホッケーをプレーところを見て、とてもかっこよく映りましたし、ホッケーというスポーツにとても惹かれたんです。その気持ちを持ち続けて、上に行こう、上に行こうと努力を続けて、プロになることができました。

——子どものころのアイドルプレーヤーは。

ミンホ そうですね…。自分にとって特別な選手はいませんでしたが、小さな時は、やはりいとこに憧れていました。だんだん成長していくに従って、その時、その時のチームメイトのいい部分を研究するようになったんです。特に「この選手が目標」といえる存在はいませんでした。アジアリーグでプレーするようになってからは(ミンホ選手は2009-2010シーズンに最優秀新人賞を獲得)鈴木貴人選手(コクド、SEIBU、アイスバックス、現東洋大学監督)のようになりたいと思っていました。

——鈴木貴人さんは日本でも多くの選手が目標にしていた人です。俳優のマ・ドンソクさんにも似ていますね。ところでミンホ選手は京畿高校、高麗大学、そしてハルラでも多くの勝利、タイトルをすでに手にしていて、2018年には平昌五輪にも出場しました。現在33歳、これからの目標、ディスティネーション(最終到達地)はどこになるのでしょう。

ミンホ 個人的な目標は、これからもハルラの選手として勝ち続けること。できれば40歳までプレーしたいと思っています。国家代表としては、2018年は開催国としてオリンピックに出場しましたが、次回の北京五輪(2022年)は予選を勝ち抜いて出場したい。それが代表選手として目指していることです。

——最後の質問です。あなたのバックナンバー「87」は何に由来しているのでしょう。たとえばパトリック・マルチネツ監督の母国であるチェコでは「プラハの春」の年号である68番が特別な番号です。ひょっとして、あなたの「87」は韓国民主化運動の1987年から来ているのではないですか。

ミンホ いえ……単純に自分の生まれた年が1987年だからです(笑)。もちろん多くのホッケーファンがそうであるように、私もシドニー・クロズビーのプレーは好きですよ。でも、彼の87番でもなくて、単に1987年に生まれたからなんです。すみません、期待されていた答えではなかったかもしれません(笑)。

——いえ、そんなことは(笑)。では、あらためて最後の質問です。今季のレギュラーリーグは勝ち点でサハリンがひとつ抜けていました(サハリンの勝ち点82、ハルラ76)。ハルラがサハリンをオーバーパワーするには何が必要になるでしょうか。

ミンホ レギュラーリーグでは、主力選手の何人かがケガであったり、バッド・コンディションに悩まされてきました。ただ、それもファイナルでは解消されるでしょう。私たちのコンディションが整えば、サハリンに勝つのは難しいことではないと思っています。

——わかりました。そろそろ氷上練習のウォームアップの時間ですね。今日は時間をとっていただき、ありがとうございました。

ミンホ ありがとうございました。今日は約束の時間より遅くなってしまって、本当にすみませんでした。


こちらはまったく気に留めていなかったが、マルチネツ監督とのミーティングが長引いてインタビューの時間に間に合わなかったことをミンホ選手は最後まで恐縮していた。優れた技術を持つチームのボスでありながら、謙虚で、物静かで、シャイだったミンホ選手。その後、サハリンとのファイナルを見ることはできなかったが、それは来季へのお楽しみとしてとっておこう。ウイルスの感染を防ぐため、現在、日本と韓国は自由に渡航ができなくなっている。アイスホッケーでつながる仲間が誰ひとりとして欠けることなく、再び試合が行われることを、その中に「ミンホ兄さん」の姿があることを、今は祈りたい。

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