長野インターハイが終わり、愛知国体も1月31日をもって終了。学校単位の男子チームの最上級生は、ほぼすべての公式戦を終えたことになる。

試合の大半が中止となった今シーズン。大会に到達する前に悔し涙を流した最上級生の気持ちは、推し量ろうとも想像の埒外だ。その中で、今回のインターハイと国体は、大会を「やりきる」ことを最優先し、そのために何が必要かを逆算して開かれた。

試合に出た選手に喜びがあった一方で、全国から多くの人を集めることに、非難の声がなかったわけではない。ただ、正解は誰にもわからないし、あえていえば正解は存在しない。地元の反発に無言で耐え、会場でひたすら消毒作業を続けた関係者は、どんな思いで日々を過ごしたのだろう。

白樺学園・湊谷匡晃監督は長野での5日間を「奇跡のインターハイ」と表現した。「中止にすることが一番簡単だし、実際、夏のインターハイは中止になりました。開催してくださったことに、これほど感謝の気持ちがわいた大会はありません。だからこそ、最後まで感染者を出さないで地元に帰りたい。それができた時に、このインターハイが本当の意味で閉幕するんだと思います」。本年度、インターハイとして開催されたのは、この長野大会のみ。球技で行われたのは唯一、アイスホッケーだけだった。

 

インターハイの最終試合は、武修館が5-2で白樺に勝ち、5年ぶりの優勝を決めた。その瞬間、ゴールの前に立っていたのは3年生のGK渡辺周で、58分までマスクをかぶっていたのが1年生の大塚一佐だった。1回戦の日光明峰戦は7-0。2回戦の渋川工戦は渡辺に出番を譲り、準々決勝の清水戦は5-0。準決勝の駒大苫小牧戦は3-1、決勝は2失点と、過去にインターハイで実績を残しているチームを相手に、トータル238分間を3失点で終えた。

大塚は武修館の地元・釧路ではなく、日光東中の出身。初戦の明峰戦は、日光東の同級生で「ダブルISSA」といわれたGK田村壱桜との対戦だった。初めてのインターハイ、最初の試合で、同じ中学出身の1年生ゴーリーがスタメンで対決するのは史上初だろう。結果は前述の通り、武修館の勝利。試合後、大塚の元にはもう1人のイッサからLINEが来たという。オレのぶんも頑張って優勝してくれ…そんなメッセージだったのか。「いえ、特には(笑)。お疲れって一言だけでした」。まあ、そんなものか。まだ1年生だし。

防具を外し、ユニフォームを脱ぐと、どことなく東北高校1年時の福藤豊(現アイスバックス)を思い起こさせた。そういえば福藤も、1年生の軽井沢インターハイで日光高校(当時)を破って脚光を浴びた。釧路出身の福藤が今は日光でゴールを守り、日光の中学を出た大塚が釧路の高校で活躍している。なんだか不思議なめぐり合わせ。しかも背番号は…あれ、70番? 「はい、70を着けているキーパーが好きで。(バックスの)井上光明さんとか」。うん、正直でいいよ。

武修館は、得点をするたびに、そしてピリオドを終えるごとに、スケーターがGKの所へ行き、コミュニケーションをとっていた。「すごく心強かったです。それと、Dゾーンでは先輩たちがシュートブロックをしてくれた。助かりました」。1年生が俺たちのゴールを守ってるんだ…という強い気持ちも、先輩にはおそらく働いていただろう。ところで、君はどうして日光から釧路へ? 「何年か前に日光でインターハイがあって、武修館の試合を見たんです。その時に、このチーム、なんかいいなと思って。それで決めました」。2017年の日光インターハイ、武修館は準々決勝で埼玉栄を延長で破り、準決勝ではGWSで白樺に敗れた。あの年のインターハイはノロウイルスやらインフルエンザやらが猛威を振るっていて、その影響をもっとも受けたチームが武修館だった。今季はコロナが猛威を振るう中で、武修館が優勝。高校チームだから4年前とはメンバーが入れ替わっているが、チームを取り巻く時間はどこかでつながっている。

氷の上でも、大塚のプレーはちょっとした驚きだった。バタフライでヒザから下を氷に着けてから、かなり長い時間、そのままの体勢で守り続けるのだ。「足を着けたままの体勢で、横に速く動けることが自分のよさだと思っています」。一方で、「ハイショットへの対応が今の課題です。それと、リバウンドコントロールも。この大会は3失点ですが、そこを改善すれば防げたと思っています」。今のスタイルを貫くか、それともどこかのタイミングで変えていくのか。時間をかけて見続ける価値のあるゴーリーだ。

「個人的な目標は、日本代表に選ばれること。高校3年間の間に、年代別じゃなくてシニアの代表に呼ばれたいです。高校生で選ばれた人(白樺・佐藤永基、現東洋大1年)もいるので、そのポジションを狙っていきます」。70番のライバルは、やっぱり44番なんだ。


 

武修館には、驚きの1年生がもう1人いた。前身の釧路短大附にアイスホッケー部が誕生して以来、45年目にして初めて迎えた女子マネジャーだ。

本間乃々華さんという。プレー歴はなく、家族がホッケー選手だったわけでもない。「お兄ちゃんの友達がホッケーをやっていて、それを見ているうちにホッケーが好きになりました。高校に入って最初の日に、角橋(裕樹)先生のところに行ったんです。マネジャー、やらせてくださいって」。ホッケー部は女子マネジャー、採ってないんだよね。でも今年は1年生が4人だけだし、ちょっと考えてみるわ。それが角橋監督の返答だったが、ほどなくして入部許可の知らせが来た。

試合中は、ひとりベンチから遠いところでビデオ撮影。先輩マネジャーがいないから、自分で仕事を見つけ、改善し、マスターしていくしかない。

苦労することも多いんじゃない? そんな質問をすると、コンマ何秒かで否定した。「全然です。みんな仲いいし、優しいですから。着替える時は、今から脱ぐ!と事前に教えてくれますし(笑)。重い物を持っていると、オレが持つよといって替わってくれます」。純で素朴な、妹のような存在。そりゃあ選手も張り切っちゃうわけだ。選手23人とマネジャー1人。今までの武修館と比べれば人数は少ないが、少ないなら少ないで、それをポジティブ要素に変えることもできる。それを教えてくれた今回の高校日本一だった。


日本製紙釧路工場の紙事業撤退により、地元のアイスホッケーにも影響が出ている。武修館でいえば、ずっとコーチを務めてきた石黒勇さん(元クレインズDF)も、「おそらく今回のインターハイを最後にチームを離れることになると思います」という。釧路だけではない。リンクの閉鎖など、アイスホッケーを取り巻く環境は、年々厳しさを増している。

「ピンチはチャンス」。よく使われる言葉だ。しかしそれは、ピンチが自動的にチャンスに変わっていくという意味ではない。ピンチをチャンスに変える能力のある人が、ピンチをチャンスに変えるための行動をとり、トライアンドエラーを繰り返しながらそれを継続することで、初めてピンチはチャンスになる。

高校ホッケーマンは今回も、多くのサジェスチョンを示してくれた。彼らが発する純な光。それこそがこの国のアイスホッケーの宝であり、希望だと思う。

(取材・山口真一)

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