写真は左からFW矢島、FW徳光、FW宮本。リーグ戦最後の2試合は3人が同じセットに入り、得点源として活躍した。


アイスホッケーは6月がシーズンの切り替えだが、日本の生活習慣でいうと、3月が年度替わりになる。今季の大学アイスホッケーは、インカレを筆頭に主要大会が中止または非公式戦扱いになるなどイレギュラーな形が相次いだ。そんな中で秋の関東大学リーグ戦は、通常とまったく同じではないながらも開催され、トップカテゴリーの1部Aグループは、中央大学が4年ぶり4度目の優勝を果たした。4年生は間もなく卒業、新年度はFW矢島翔吾キャプテンのもとリスタートすることが決まっている中央大学。主力のFWラインを形成した3人に話を聞いた(取材・構成/山口真一、写真/森健城)。


夏をダラダラ過ごして「自粛」だけで終わるのはいやだった(徳光)

年度替わりの前に、今季のリーグチャンピオンをしっかり称えておきたいと思います。12月6日の明治戦に勝ち、不戦勝1つを含めて7連勝。4年ぶりのリーグ優勝を決めた中央大学のFW徳光陸キャプテン(4年)、副キャプテンのFW宮本明朗(あきら)選手(4年)と矢島選手(3年)です。今日はよろしくお願いいたします。

徳光 宮本 矢島 よろしくお願いします。

リーグ最終戦の後、DF小川翔太選手(4年)がツカツカと寄ってきて「アイスホッケー・マガジンに明治と東洋が優勝候補とありましたよね。それを発奮材料にしました」と言われました。言い逃れ明美になってしまいますが、中央は夏合宿が中止になり、9月6日の集合時点で半分の選手が戻っていませんでした。明治は9月1日の集合日に全員が揃っていて、東洋も8月に苫小牧で合宿をしていた。今考えても、やはりあの9月上旬時点では、中央を優勝候補に推すことはできませんでした。

徳光 本当に全員が集まったのは、9月20日から10月1日の間だったんです。部に戻るかどうかは各自に任せていたので、選手や家族の考えによって、戻るか、どうするかという感じだったんです。10月1日までに、だんだんと人数がそろっていった感じです。

リーグ戦の話の前に、夏に起きた出来事について聞かせてください。八戸了監督は「7月のアレを乗り越えたことがウチのすべて」と話していました。あえてこちらからその話題には触れなかったんですが、「書いてもらって全然構いません」ということなのでお聞きします。昨年7月、寮内で感染者が出た時はどんな様子だったのでしょう。

徳光 今は感染する人が全国で出ていますが、あの時は今ほどの数ではなかったですよね。「まさか自分たちが」と思ったし、これからどうなっちゃうのかが不透明で…。結果的に9月に集合することができましたが、7月の時点では、アイスホッケー部として責任をとって活動できなくなることもあるんじゃないかと、そっちの不安が大きかったです。

宮本 あのころはホッケー界で感染者が出ていなかったので、これはホントにやばいと思いました。

矢島 7月の時点で僕は苫小牧にいたんですが、最初に連絡をいただいた時は「まさか」と思ったし、マジでやばいと思いました。でも途中から、「今でよかったのかも」と前向きな気持ちになることができたんですよね。リーグ戦が始まってからより、この時期でよかったんだと。

寮はその後、どうなったのですか。

徳光 学校はオンライン授業なので、もともと帰省中の子は寮に戻ってこないようにしました。ただ、寮で患者が出たことで、場所(選手の実家)によっては帰省しようと思っても帰れないケースもあったので、帰省できない人はそのまま寮にいられるようにしたんです。

宮本 中を消毒する日が1日あって、それが終わったら、感染していない人はそのまま寮で生活していました。

徳光 気持ちの持ち方は、かなり難しかったですね。それこそ3月に部を一時解散して、4月、5月、6月と全然、先が見えない状況の中でオンラインでトレーニングを続けてきて、そうしたら7月に感染者が出てしまった。大会も中止、中止になっていて、このままシーズンが終わっちゃうんだろうなっていう気持ちが強かったです。

確かに夏の時点では、感染は「不祥事」のように扱われました。

徳光 8月になってリーグ戦が行われることが決まって、でも2度くらい開幕が延期になりましたよね。その時に「やれるだけやってみよう」と開き直りました。試合をやるにしても期間は短いんだし、やっぱり中止になるかもしれない。だったら、「やれたらやれたでラッキー」と考えようと。

徳光キャプテンとしては、先が見えない中でどんな言葉をチームメイトにかけたのですか。

徳光 僕自身、ホッケーに対する気持ちの面で難しい時期があって、でも、たぶん他の選手もそうだったと思うんです。それを薄々感じていたので、こういう期間だからこそできること、あとあと事態が落ち着いた時に「あの時やっていてよかったね」と思えるように、ただダラダラと過ごして自粛だけで終わることがないようにしようと言っていました。

宮本 僕はちょうど感染者が出る何日か前に日光に帰っていて、そこからずっと日光にいたんです。リーグ戦がどうなるかわからなかったし、就活もあったので、正直、練習に熱が入らなかったですね。

矢島 3年生以下は寮生活ではないぶん自粛期間中は自由だったと思います。でも、自由であってもトレーニングはやらないといけないし、中には怠ける人が出てくると思ったので、信田啓吾マネジャーと一緒に、映像を見てホッケーの戦術を学ぶ機会をつくりました。参加する人は意外に多かったですよ。

矢島選手は3年生ながらAマークを着ける「幹部」でもあります。

矢島 最初、八戸さんにAマークを告げられた時は「3年生以下をまとめてほしい」と言われたんです。ただ、4年生のやりたいことは4年生にしかわからないので、4年生の行動を観察しながら、それを3年生以下に伝えていました。陸さんも明朗くんもしっかり言葉で僕に伝えてくれたし、「こうしてほしい」というのをわかりやすく説明してくれたので、そこはありがたかったです。


陸さん、明朗くんと組むのは、ホッケー人生で一番楽しかった(矢島)

リーグ開幕後、11月8日の日大戦に3-1で勝って4連勝。そこから日程の関係で試合間隔が3週間、空きました。最後の2試合は、三つ巴で優勝を争う東洋と明治が相手。そこからこの3人が同じラインを組むようになりました。もともと徳光・宮本選手が2年、矢島選手が1年生の時にも組んでいましたよね。19年春の最終戦で組んだ時も、すごく息が合っていたのを覚えています。

徳光 東洋戦までは各自バラバラのセットだったんですけど、どこか課題というか、うまくいかない部分があったんです。頭のどこかで「僕と明朗と翔吾で組んだらどうかな?」「それでうまくいくかな?」と考えているうち、だんだん組み合わせのパターンがなくなってきて、最後の2試合、本当にこの3人が組むことになったんです。

宮本 やりやすいんですよね、3人で組むと。実際、それはスコアにも表れていると思います(東洋戦、明治戦を合わせて6得点)。

矢島敏幸コーチは「この3人は時間があればいつも話し合っていて、ベンチで見ていても、なんでこんな所にいるんだという場所にいる」と話していました。

徳光 明朗とは小学生のころからやっているというのがありますが、翔吾はとにかく決定力があるんです。僕と明朗がパスを回すことでスペースができて、もう1人にシュートチャンスが回ってくるケースが多かったんですが、それまでは、そこで決めきれなかったんですよね。でも、翔吾が入ったことで得点する確率が上がりました。高校(日光明峰高)、大学と、僕と明朗が組むと最後に決めきれないという課題がずっとあったんですけど、その課題を翔吾が解決してくれた。それと、ハンドがレフトなのもよかったです。(徳光と宮本は)ライト、ライトなので、3人ライトだとPPでワンタイムを打ちづらくなるんです。そこにレフトの翔吾が入ったことで、どっちのサイドでもPPをつくれるようになった。シュートにつながるパスを出すタイミングもわかりやすくなりました。

宮本 翔吾は、パス出しの視野の広さがずば抜けているんです。僕がいる所もだいたいわかってくれていて、見ないで、感覚でパスを出してくれたりとか。そういうプレーをやると相手の選手もついてこれないし、これまで(同じラインで)やっていた他の選手とはちょっと違う気がしました。

矢島 (徳光、宮本は)2人ともむやみにダンプしないですし、3人ともセンターができるタイプなので、全員で助け合っている感覚でした。全員がパスをもらえる位置にいて、打てる位置にいて、常に3人同士の連携ができている。やっていてすごく楽しかったです。僕はずっとセンターをやってきたんですけど、3人で連携するという経験はなくてウイングに任せきりだったんですが、この秋はウイングに入ってみて、同じセットにセンターが3人いる感覚でした。陸さんのキープ力とポジショニングはチーム一だと思うし、明朗くんとの「あうんの呼吸」もある。明朗くんもスピードがあって、パスを出せて、いろんなことができて。もう、言葉で言わなくてもできる、アイコンタクトでもいけるんじゃねえかってくらい息が合っていました。ホッケー人生の中で一番楽しかったですね。


こちらの足が動いていたから、東洋の反則が多かったのかも(宮本)

リーグ戦の流れからいうと、11月29日の東洋戦で4-1、得失点差+3で勝ったことが本当に大きかったと思います。信田マネジャーが東洋ゴーリーの佐藤永基選手を研究して、チーム内で共有したと聞きました。佐藤選手は、1発目ではまず入らない。いかに2発目、3発目をたたくか、スクリーンやゴール前でどれだけ混戦をつくるかが徹底されていました。3点差での勝利で唯一全勝を守り、しかも東洋の得失点差のプラスを1に減らしました。

徳光 僕たち3人が組むことで「パスを回してくるだろう」と東洋は予想したと思います。実際、回そうと思えば回せたんですが、それを予測している相手とすれば、守りやすくなりますよね。だから逆に「このセットはパスを回してくる」と思わせておいて、どんどんゴールにパックを集めていこうというのは意識していました。コーナーからゴール前に上げるとか、Dがシュートを打ってスクリーンとか、練習でもそこを意識したんです。そういうホッケーをやっていけば、逆にパスコースができるんじゃないかって話は3人でしていました。

東洋戦の1点目は、ゴール前でFW小原匠麿選手(3年)が合わせたもので、2点目はゴール裏で宮本選手が2人を引き付けてゴール正面の矢島選手へ。ゴーリーと1対1で勝負するのではなく、複数選手の崩しによるスコアリングでした。

徳光 あの試合は東洋のペナルティが多くて(11反則)、ウチも8つ反則があったんですが、相手のペースに乗せられずに我慢することができました。大人のチームになったと思います。

宮本 こちらが反則したら東洋にチャンスを与えてしまうわけで、実際、東洋はPPもうまいですから。ムダな反則をするなということは、ベンチでずっと話していました。ただ、中央戦の前までは東洋もそこまで反則は多くなかったと思います。こちらの足が動いていたからかもしれませんし、中央の4得点は全部PPだったので、そこはよかったと思います。

矢島 僕は1-1、2-1のロースコアで進むのかなと予想していました。東洋戦までは中央のPPの確率もそれほど高くなくて、でも東洋が反則してくれてPPで得点できて、途中から余裕が出てきたと思います。

東洋戦では、3人が1ゴールずつ決めています。チームのリーダーでもある3人にとって満足のいく試合だったのではないですか。

徳光 東洋は個人個人のスキルが高いですし、得点力のある選手ばかりで、どこかに「異変」というか、普段と違うことを起こさないと中央には難しい展開になることはわかっていました。心理戦じゃないですけど、いかに向こうをイライラさせるか。ウチはとにかく我慢して、我慢して、1点差でもいいのでとにかく勝ち切ろうと。その認識がチーム全体でできていたのがよかったと思います。

(前編おわり。最終戦の明治戦、今季のチーム総括は後編でお伝えします)

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