この4月、会社員として埼玉で新たな生活をスタートさせた北澤瑠(きたざわ・るい)は、昨冬まで日大のキャプテンだった。エネルギッシュに動くディフェンダーとしてチームを引っ張り、昨秋の関東大学リーグ戦は1部Aの5位に。2シーズン前はグループBにいた日大にとって、ここ数年では最上位だ。

北澤は、エリートプレーヤーとは違う場所でアイスホッケーを続けてきた。「小学校も、中学校も、1年のうち勝てるのは2、3試合。高校時代も地区の上位校にはずっと勝てませんでした」。釧路湖畔小では「イースト・ジュニア」、青陵中では「釧路東部」と、いずれも合同チームでプレー。北澤が学校を卒業するのと同じタイミングで、選手数の不足で2チームともなくなってしまった。

青陵中を卒業した北澤は、釧路を離れて幕別の江陵高校へ。ここで監督の三杉友宏先生から「雑草魂を叩き込まれた」と振り返る。「俺たちは雑草だ。だから人の倍やらなきゃ、勝つどころか同じ土俵にすらたどり着けないんだと、三杉先生はいつも言ってました」。その江陵高校も今年3月をもって廃校となり、道立の高校に生まれ変わった。北澤が所属したチームは、小、中、高校のすべてが現存していないことになる。

大学進学は、インカレで何度も優勝している強豪の誘いを断り、「一番最初に声をかけてくれた」日大へ。とはいえ、秋のリーグ前半はベンチにも入れなかった。後半戦から試合に出始めたものの、チームは最下位。入替戦にも敗れ、グループBに降格してしまう。

北澤が2年生になった翌シーズン、フリーブレイズでプレーしていたOBの元野道隆さんがコーチに就任。北澤にはそれが分岐点になった。「1年目は、どうして出られないんですかとスタッフに何度も直談判に行きました。でも、結局そんなに出番がなくて、やる気をなくしかけていたんです。でも、新しいコーチが来たことで、チーム内の評価基準が変わると思いました。これはチャンスだ、もう一回頑張ろうと」。やがて北澤は1つ目を任されるようになる。

1部リーグBを戦う2018ー2019シーズン、日大のキャプテンはFW江良明眞。三杉先生のように、やはり妥協を許さない先輩だった。「1部Aと対等に戦えるチームになる」という目標のもと1年でA復帰を決め、インカレはベスト8。このインカレは、日大の部史に残る戦いだった。PS戦で勝った慶應との2回戦は、先制点を奪われたのは55分で、追いついたのが5959秒。準々決勝の中央戦は54分まで1-2だった。

そして昨シーズン、最終学年を迎えた北澤は日大のキャプテンに選ばれた。「チーム内の匿名投票で決まったんですが、自分が選ばれるとは全然思っていませんでした。キャプテンをやる器じゃないと思っていましたから。江陵をまとめられなかった自分が、強い高校から来た選手ばかりの日大をまとめられるのかと」

北澤の中で芯になったのは、高校時代に学んだ「雑草」の心だった。「江陵の時からずっと、自分は特別な選手じゃないと思ってきました。優秀な人やチームに近づくためには、雑草なりに努力しなきゃいけないんだと自然に思うことができた」。昨シーズンの日大の副キャプテン・FW相澤拓耶は武修館、同じくFW武田裕大は八戸工大一の出身。いずれも高度な戦術を用いる高校だ。「だから最高峰の戦術は彼ら2人に任せて、そこに僕が江陵で教わった戦術をプラスしていけばいい」。上位校を相手に番狂わせを狙う、江陵高校のシステム。それを取り入れたことで、日大は上位校から勝ち星を奪うことはできなかったものの、どこを相手にしても、きちんと「試合」をやってみせた。

「弱小校から来た僕がキャプテンになったことで、日大を全員で戦うチームにしたかったんです。大学って、個の能力ありきのホッケーじゃないですか。でも、日大がそういうホッケーをやっても上位校には勝てません。江陵高校の時も、ただがむしゃらにやっていたら勝てないと三杉先生はいつも言っていて、他の高校がやっていないシステムを採用することでインターハイに出ることができたんです。江陵出身の僕にしかできないホッケーを生かしつつ、強い高校から来た選手の文化だったり、習慣だったり、お互いのいいところをミックスしていこうと思いました」

小、中、高校と、所属したチームがすべて消滅。大学4年でキャプテンになったら、今度はコロナでインカレが中止になった。ともすれば「不運」とも映る北澤のホッケー人生だが、本人はそうは思っていない。

「貴重な経験ができたと思っています。言葉にすると難しいんですけど、ホッケーをいつやめるかわかんないような環境の中で、大学4年まで続けることができた。エリート街道を進む人は、ずっと強豪、強豪で、でも僕は弱いチームも強いチームも経験できました。日大は、関東の上位ではないですけど、僕からしたらエリートの集まり。いろんな環境で、いろんな経験ができました。僕にしかできない経験です」

「江陵高校で三杉先生に出会ってなかったら、大学までホッケーを続けなかったと思います。先生に教わった雑草のスピリットは、最後まであきらめないということ。それを本当に強く思ったのが大学2年のインカレです。いろんなコーチから、最後まであきらめるなと言われ続けて、でも心の中では無理だベと思うことがよくあった。でも、最後まであきらめないでプレーしていたら、残り1秒で追いついて、勝つことだってできる。三杉先生が言っていたのはこれだったんだと思いました。そういう気持ちの部分を、いつか子どもたちに伝えたいです」

不運ではなく、不遇でもなく、北澤瑠というホッケーマンにとって、江陵高校、日大というルートは最善の選択だった。「本当にそうです。大学を卒業した時に小学1年からのことを思い返したんですが、ああ、僕は一番いい道を歩んできたなあって思いました。高校まで弱小チームだったのに、最後は日大のキャプテンの肩書まで与えてもらった。自分なりに頑張ってきてよかったです」

3月をもって、江陵高校の歴史は幕を閉じた。それでも北澤の心に、アイスホッケー部OBの心に、三杉先生が蒔いた種は生き続ける。深く根を張り、折れない雑草。それが新しい花を咲かせるのは、いつの日のことだろう。

(取材/山口真一、写真/森健城)

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