学生アイスホッケーの新年度を告げる大会、関東大学選手権の開幕が迫ってきた。新1年生は、そろそろ新しいチーム、新しい生活に慣れてきたころだろう。同様に、3月に卒業した大学OBも、今ごろは社会人1年生として新しい環境と向き合っているはずだ。

昨冬まで日大のキャプテンを務めた北澤瑠(きたざわ・るい)も、埼玉の上尾でサラリーマンとしての第一歩を踏み出した。上尾は、関東でも有数の氷質を持つリンクがあることで知られるが、彼が上尾に引っ越したのはアイスホッケーのためではなく、あくまで仕事のため。就職した会社がこの上尾にあるのだ。「今はいったんアイスホッケーをストップしようと思っています。半年くらいは仕事優先の生活をして、落ち着いたら社会人チームでホッケーをやってみるのもいいのかなって。僕としては、将来、子どもにホッケーを教えたいっていう目標があるんです」

昨シーズンまで、日大の赤のユニフォームを着てDFの主力を務めてきた。タテに向かう運動量と、味方を補う足を使ったポジショニング。しかし、高校までの北澤を知るファンは、さほど多くないかもしれない。

釧路湖畔小1年でホッケーを始め、青陵中に進んだ。学校と並行して、大進ジュニアでも練習を積んだ。地力はあったはずだが、指導者間の力関係もあって釧路選抜には選ばれなかった。「アイスホッケーは、もういいかな」。大人の事情に左右されることに嫌気がさし、高校は勉強で釧路江南に入って、ホッケーとは違う道を選ぶのもいいなと考えた。

そこへ、十勝の江陵高校から誘いがあった。監督は、かつて釧路江南が全国優勝を果たした時のメンバー・三杉友宏先生。話を聞いてみると、とにかく熱かった。「三杉先生は研究熱心で、海外でいま現在やっているトレンディーな戦術も勉強されていました。純粋に、そういうホッケーをやってみたいと思ったんです。中学で終わりかけた僕ですが、もう1回、ちゃんとホッケーをやってみようと」。釧路の同級生数人と、江陵高校のある幕別に向かった。

江陵高校に入ると、部員の数は「2セットと少し」。北澤は入学してすぐに1つ目に抜擢された。「江陵なら余裕だべ。そう思いました。でも、このチームには、技術だけじゃない競争がありました。1対1のバトルとか、先輩はみんなメンタルが強かった。実際、先輩たちはすごく真剣にホッケーをやっていたんです。江陵をナメていた自分が恥ずかしくなりました。もっともっと、努力しなきゃいけないんだなって」

普段の三杉先生は「めっちゃ怖かった!」と北澤は言う。「江陵はインターハイに毎年出るような学校じゃないから、強豪校と比べればホッケーの面で足りない部分もあったんですけど、それでも三杉先生はあきらめずに、いろんなことを教えてくれました」

部員は少なく、しかし氷上も陸トレも妥協はなかった。「俺たちは雑草なんだ。雑草は人の倍やらなきゃ、勝つどころか同じ土俵にすらたどり着けないんだよと、三杉先生はよく言っていました」。雑草が花をつけたのは、北澤が2年生の冬だ。全道大会1回戦で北海道栄に2-1で勝ち、2回戦(準々決勝)は北海に1-3。北澤にとって初めての、そして結果的には最後のインターハイ(盛岡大会)まで勝ち上がった。インターハイは、1回戦で地元の盛岡中央に勝ったものの、2回戦は優勝した武修館に0-15。「ボコボコにされました。なんもできなかった」。エリートとの差を感じた瞬間だったと北澤は振り返る。

3年生になると、北澤はキャプテンに指名された。久しぶりに夏の全国選抜に出場し、続く清水町大会でも釧路江南とPS戦まで行った。部員の数も増え、江陵が上昇の兆しを見せた時期だ。「でも、キャプテンとしての自分の力不足で、チームはバラバラの状態でした。チームがまとまるまで時間がかかって、全道大会は北海に0-10で1回戦負け。悔しいというより、自分がふがいなかったです」

一方で、運動量豊かな北澤のプレーは、関東大学リーグのスタッフ間で「隠れた素材」として注目を集めた。一番熱心だったのは日大だ。「今はお亡くなりになった三宅(正彦)先生が、最初に三杉先生のところに声をかけてくれたんです。僕も割とすぐに、日大にお世話になりますと答えました」。直後、違う大学からも「ウチにどうですか」と声がかかった。インカレで何度も優勝している、大学ホッケーで一、二の名門だった。

それでも北澤の心は「日大」で動かなかった。「僕のところに最初に来てくれたのは日大です。後から声をかけてくれた大学も、本当に欲しかったらもっと早く言ってきたはずだよなと思って。それに、日大には釧路時代にお世話になった佐藤了哉先輩がいた。僕には日大が一番いいんだって思いました」

北澤が日大に入学した2017年春、関東1部リーグAの8校の中で江陵高校OBは北澤以外にいなかった。3年後にキャプテンに指名されることなど夢にも思わず、北澤の大学生活がスタートした。

(後編につづく。取材/山口真一、写真/森健城)

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