1月31日朝、羽田空港。搭乗ゲート前で隣になったのは山中武司さんだった。

 慶應のコーチであり、男子日本代表のコーチ。かつて王子のDF、引退後は監督として活躍、選手として長野五輪にも出場している。前回の平昌大会ではスマイルジャパンを率いた。

「あ! 行くんですね」と山中さん。

「はい。でもホッケーは何試合行けるか。けっこう仕事が立て込んでいて」と私。

 そこからしばらく、渡航手続きにまつわる苦労話。申請やら、陰性証明やらがとにかく煩雑で、互いに顔を見合わせて苦笑い。海外への渡航は慣れているつもりだったが、今回は本当に、いや本当に大変だったんです。

 北京の空港では、防護服を着た係員にエスコートされて一緒に入国手続き。山中さんに「ラーメンマン(かつての山中さんの愛称)、故郷に帰るって感じですか」と言うと、「懐かしいこと覚えてますね!」。それぞれ荷物をピックアップし、山中さんとはそこでお別れ。中継の解説のために訪れた山中さんは、テレビのクルーと市街地へ。私は雑誌協会のバスに乗ってホテルに向かう。これでやっと北京五輪を迎えられる。

 スマイルジャパンにとって今回の北京五輪は、2014年のソチ大会以来中軸を担ってきたベテランが、おそらく今回を最後に代表を離れる「区切り」の大会になる。FWの久保英恵はかねてから「この北京が最後」と公言。他にも攻守の要を担ってきた選手が、北京を持って代表を離れる、あるいは現役を引退することになりそうだ。

 ソチの予選ではサブだったのに、本大会からこの北京までメインゴーリーを務めてきた藤本那菜は、1月の会見で「次の世代に引き継ぐために、北京では目に見える結果を残したい」と口にした。本人さえ望めば、これから先も代表のキャリアは上積みされたかもしれない。それでも、自ら北京を集大成の場に定めた。

 夏の世界選手権は故障に苦しみ、11月の時点で「本大会に間に合うかどうか」という発言もあった。それでもリコンディショニングがうまくいったのだろう、1月上旬の練習試合では好守を見せていた。

 10年前は「ホッケーをやらされていた感が強くて」やめるつもりだったのに、所属チームにゴーリーがいなくなるのを避けるために選手を続け、それがソチ、平昌と2度の五輪出場につながった。北米のリーグに渡ったり、男子高校生の練習に参加したりと、ソチ以降は初めて心の底からホッケーを楽しめたのではなかったか。「ホッケーをやっていてよかった。楽しかった」。北京五輪が、彼女にとってそんな終わり方だったらいい。

 

 4年前、当時の苫小牧東高の監督だった田中正靖先生が「平昌五輪で引退すると聞いています」と教えてくれた選手がいる。長くスマイルの1つ目のセンターを務めてきた米山知奈だ。

 同学年のFW大澤ちほ、DF鈴木世奈と東高校に入学し、3年間、男子に交じって練習を積んだ。現在の所属チームは、苫小牧の道路建設ペリグリン。氷上練習前のウォームアップの空気が日本一、美しいチームだ。リンク横の駐車場で、半分ほどの年齢の選手と声を出し、汗を流す。米山はそういう日々を何年も何年も続けてきた。

「4年前に引退しようと思っていて、でも今日まで続けてきた理由ですか。それは、もっとうまくなれるんじゃないかと思ったからです」。選手として、まだ成長の途上なんじゃないか。そう信じられる自分がいたから、その気持ちに従った。床秦留可、志賀紅音、山下光と、ここに来て若いFW陣が伸びてきたけれど、「米山知奈史上最高の米山知奈」も、この北京で見てみたい。

 個人的に注目しているのは、おそらく組むであろう小池詩織と細山田茜のDFコンビだ。世界選手権では1つ目。チェコとの最初の試合(0-4で敗戦)の2失点目が忘れられない。

 日本のDゾーン左から、チェコの選手がゴールに向かっていく。その選手とゴールの間に小池が入ってカバーしたが、ゴール裏、しかもゴール真後ろのほとんど隙間のない部分に走り込まれたため、小池のカバーが剥がされた。そのまま付いていったら、ゴールもしくはゴーリーに激突してしまうからだ。小池のカバーを剥がしたパックキャリアは、そのままゴール裏を回ってシュート、そこに走り込んできた別の選手にフリーでリバウンドをたたかれた。ゴールという用具をもう1人の味方として活用する、チェコらしい狡猾なプレーだった。

「あのプレーの後、カバーのリレーミスだったねと小池と確認したんです」と細山田。アイスホッケーの特徴はゴールの裏を使えることだが、ゴール裏を巧みに使うチームを相手にして、パニックに陥るチームは少なくない。NHLとて、それは例外ではないのだ。今回の北京で、スマイルジャパンは予選リーグの最終戦でチェコと対戦する。決勝トーナメントをかけての大一番になる可能性も十分にある。

 小池のペリグリンでの背番号「68」は、チェコのスーパースター、ヤロミール・ヤーガーに由来している。父・真さんは、元古河電工のFW。ちょうど現役の頃に、DFフランタ・カベルレとFWエド・ノバックが来日し、古河はサッカー部とともにチェコの選手を採用するようになった。小池は、「いつも父からチェコのホッケーの話を聞かされて」育った。8月の苦い経験を、半年後の北京でどう生かすか。チェコ戦は小池本人だけでなく、「小池家」としての恩返しの場だ。

 4年に1度。オリンピックはそんな表現をされるが、どの選手にとっても「北京五輪」は一生に一度だ。2022年の我らがスマイルジャパン。日本を代表して北京の氷に立つ彼女たちを、そっと見守り、ずっと記憶にとどめたい。

(取材・山口真一。権利関係により北京五輪の写真は当ページにアップすることができません。写真は1月の苫小牧中央高校戦のものです)

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