コロナとの戦いがこれほど長く続くとはきっと誰も思っていなかったし、いつまで続くのかも誰にもわからない。それでも時間は止まることがなく、この3月で大学卒業を迎えるホッケーマンが日本中にいる。

2021年11月、日本体育大学は関東大学リーグ戦のディビジョンⅠ・グループB(1部リーグB)を2年連続で制した。最終カードの青山学院戦(1121日)は、全勝同士の対決。選手の家族がスタンドに集結し、高い集中力を感じさせた一戦は、青山が先行しては日体が追いつく接戦になり、42分に決勝ゴールを挙げた日体が4-3で逃げ切って優勝を決めた。

日体は2年連続のB優勝。しかし、その上のカテゴリーである1部リーグAには2年続けて届かなかった。入替戦で敗れたのではない。秋のリーグ戦が2年続けて「特別大会」となり、入替戦自体が行われなかったのだ。

2021-2022シーズンのキャプテンを務めたのは、DFの清水天音。東京・江東区の出身で、中学まで江戸川アーマーズでプレーした。埼玉栄高では1つ目のDF。線が細く、ゴリゴリ行くタイプではなかったが、セーフティーファーストのスマートなディフェンダーだ。

「高校2年までは、慶應に行きたいと思っていたんです。でも、志望の学部に入るには、かなり時間をかけて取り組まないといけなくて、高校最後の1年間をそっちに取られたくなかった。それで高校の先生に相談したら、大東と東海、日体から声がかかっていると。その中だったら日体かなと思って決めたんです。その時点で1部Aにいたのは日体だけでしたから」

日体に入り、2年生の秋のリーグ戦で入替戦に敗れ、1部Bに陥落した。3年生となった昨季(20202021シーズン)は、リーグ戦は特別大会として開催され、入替戦は行われなかった。それは清水らの学年が4年目のシーズンを1部Bで戦うことを意味した。インカレも夏の時点で中止が決まり、大学アイスホッケーの残り1年半に対し、一時は絶望的な気持ちになったという。

「日体はその前の年に1部Bに落ちてしまって、でも翌年の入れ替え戦に勝てば4年目は1部Aでやれる、そういう気持ちでいました。入替戦がないと聞いた時には本当にショックでしたし、1部Aでやりたくて日体に入ったので、やる気がなくなったとまではいわないですけど、モチベーション的にかなり落ちた時期がありました」

3年目のシーズンが終わると、清水はキャプテンに任命された。心がけたのは、「自分で行動して、見せる」こと。「キャプテンという立場は口でも言ってかなきゃいけないんですけど、練習に対する態度だったり、普段の生活であったり、自分の行動を周りに見せていかないといけないと思いました」

卒業年度をグループBで戦うことも、割と早い段階で受け入れることができたという。

「自分はなんのために日体に来たのか。もちろん1部Aでやることは目標でしたが、それ以前に、大学でアイスホッケーをやることが大切なんだと。ここまでホッケーをやらせてくれた親には感謝していますし、だからこそ最後までホッケーをやりきりたいと思いました。自分たちの代は1部Aでやれないけど、きちんと下の学年につなげていこう。同期とそんな話をして、気持ちを前に向けていったんです」

新チームになっても試練は続いた。春のトーナメントは、大会途中で過半数の部員が発熱や嗅覚の異常を訴え、順位決定戦(5~8位決定戦)を棄権。それから1カ月、ホッケー部の活動は停止になった。隔離期間が明けて部員が寮に戻ってからも、営業休止のアイスリンクが多かったために氷上練習ができなかった。

夏合宿も中止になった。当初は苫小牧のサマーカップに合わせて合宿を張る予定だったが、大会がなくなったことで、学校の寮に泊まって陸トレと氷上練習をする「通い合宿」スタイルになった。「氷上は毎回、千葉の船橋。片道1時間半とか2時間かけて行ってました。往復に4時間かけて氷に乗るのは1時間とか、そういう日もありましたね」

部員の間に、徐々に温度差が生まれていく。待っているのはセカンド・カテゴリーの戦い。おおよそのレベルはわかっている。そんなにハードに練習しなくても…という声が起こり始めた。

「4年生はみんな、最後までやりきるしかないという気持ちでした。でも3年生以下からは、夏大会がなくなったことでモチベーションが上がらない、夏の間はそんなにキツいことをしなくてもいいんじゃないですかという意見が出ました」

「それから、何度かミーティングを重ねたんです。3年生以下に言ったのは、いろいろあって気持ちが落ちるのはわからないでもないけど、何かが起きるたびに上がったり下がったりしているようじゃ、大事な場面を戦い抜けないんじゃないのかと。僕らの代は今シーズンで抜けるけど、3年生以下はこれからもここでやっていかなきゃいけないわけですし」

その直後、最大の試練が訪れた。秋のリーグ戦で、前年に続いて入替戦が行われないことが決まったのだ。1部Bを連覇しても、その上に続く道がない。3年生(新4年生)は、1年生の1シーズンだけが1部Aで、2年目以降の3年間を1部Bで戦わなければならなくなった。

「自分たちの代は上がれなかったけど、自分たちでAに上げて卒業したい。そう思っていたので、入替戦が2年続けてなくなったと聞いた時は、さすがに(心にずしりと)来ましたね。きっと4年生より3年生のほうがキツかったはずです。でもインカレはあるんだし、そこで今まで頑張ってきたものをぶつけて結果を出そう、そのために頑張ろうと部員には言いました」

学年によって、立場によって、いろんな考えや意見がある。そこが高校までのホッケーと大学とでもっとも大きく異なる部分だ。「ミーティングをしても、最初のうちは方向性がまとまりませんでした」と清水。「それでもみんなで話し合って、これから頑張っていこうと。そこからチームの雰囲気が上がっていったように思います」

11月、前述のように日体は1部リーグBを全勝優勝。インカレは準々決勝で明治に4-7で敗れたものの、ベスト8でシーズンを終えた。「秋リーグは、相手がBだから気持ちが緩むということはなかったと思います。それと、入替戦がなくなってもインカレがあった。それは気持ちの上で大きかったですね」と清水は言う。

4月、清水は大手自動車ディーラーで働き始める。大学アイスホッケーの4年間、特に最後のシーズンで学んだことは何だったか。

「競技としてやるホッケーは大学で終わりで、それなのに最後の2年間がこういう形になってしまった。この2年は苦悩の連続でした。せっかくここまでやってきたのに、なんで…という気持ちも、正直にいえばあります。でも、その一方で、親だったり関係者の人のおかげでホッケーをやらせてもらっていたんだというのを強く感じました。その人たちのためにもというのもありますし、これまでホッケーを続けてきた自分のためにも、最後までやりきろうと思いました」

「僕らの1つ上の代から、1部Aの上の大学とも戦える力はあったと思います。それを証明したい気持ちがあって、それができない悔しさがありながら、最後までやり抜いた。大学ホッケーの世界に僕たちが残したものがあるとしたら、きっとそういう部分だったと思います」

アイスホッケーが好きだ。だからこそ、どんな状況であっても投げやりな気持ちでアイスホッケーをすることはできなかった。清水ら日体4年生の気持ちは、きっとこの時代にプレーする選手に共通しているだろう。

ぽっかり空いた穴を、何をもって埋めればいいのかはわからない。でも、与えられた状況の中で、俺は全力でアイスホッケーをやり抜いた。その誇りは自らの支えとなって、この春に卒業するホッケーマンの中で永遠に生き続けるのだと思う。

(取材・山口真一、写真・森健城)

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